K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

久々に笑顔になって、そして考える

何週間ぶりかわからないけれど、笑顔で頬の筋肉が痛くなるくらいに面白い出来事があった。
何があったかと言われれば、アニメを見た。それだけのことだった。
しかも見たことがあって、内容を知っている作品。もちろん名作であれば何度でも楽しめるわけだが、個人的な評価としては「そこそこ」程度のもの。それでも、状況が整えば意外な楽しみが見出だせることがわかったのだ。

 

少し前の日記で、習慣としてアニメが見られなくなったというようなことを書いたけれど、その症状が改善されたわけではない。
これを書いている今でも、なかなか夏の新作アニメを見る気にはなれないし、きっと今月中に元に戻ることはないだろう。
それでも、私は今日の早朝から昼頃にかけて、アニメを一気に見ることができた。
必要なのは、一緒に見て感想を言ってくれる人間の存在だったのだ。

流行りのVTuberに一切の興味を持たない私だけれど、日常的に、と言っていいくらいの頻度で覗いているチャンネルがある。
その配信者は私と年齢が近いようで、趣味から昔話から思考パターンに至るまで、驚くほど気が合う。実際に合って話しているわけではないかは、気が合うなんて表現するのは変な話だけれど、とにかくリアルの知人であれば親友になれたかもしれないと思えるほど、見ていてストレスを感じないのだ。
その人が放送しているのはゲーム配信で、主に戦略面において何が正解に近いのかを追求し、検証しながら、常に結果を残そうと努力している。
今は、たまたま私が遊んでいるゲームに熱中しているため、参考になるからラジオ代わりに開いていることが多いのだが、他のゲームをプレイしている時にも姿勢は変わらないようで、そのスタンスに私は魅力を感じた。
配信者としては中堅レベルで、それなりにコメントは流れるけれど、まだまだトップ層の視聴者数には及ばないから、非常に居心地が良い。
配信者によっては同接が数万人規模になると、視聴者ウケを狙った発言が増える傾向にあるし、コメントの流れが速すぎて不快感が増すため、面白味がなくなるといったことがある。
だから、そうなる前の最も見応えのある段階ということもあって、とても楽ませてもらっているのだ。

配信時間は生活リズム崩壊マンであるがゆえに、日によって滅茶苦茶なのだが、基本的に深夜が多い。
昨日もいつものように深夜の放送を見ていたのだが、ゲームの内容については同じ作業の繰り返しで特に語ることがなくなっていて、話の流れはアニメについてなど、自然と趣味に寄った話題が盛り上がった。
まぁ十年前に高校生や大学生だった人間もいれば、幼稚園児だった人間もいて、Twitter文化やオタク文化のジェネレーションギャップというのがまた、聞いていて面白い。
そんな中、ここ数年で人気のある特定のジャンルのアニメについて、どうしても見ることができないという流れになった。
いにしえのオタクにとっては、もう心から楽しめないような、今どきのアニメ。食わず嫌いは良くないとわかっていながらも、クソだという印象が拭えないから、どうにか楽しむことはできないかという話で、視聴者のコメントからいくつかの作品が候補に挙げられた。

 

結果から言えば、第一話だけという言葉からスタートしたアニメの視聴は比較するために複数作品に及び、最後に手を付けた作品は序盤の展開に引き込まれる形でやめられなくなって、そのまま完走することになった。
配信プラットフォームはTwitchではないため、ウォッチパーティというわけではなかったけれど、視聴者それぞれが同タイミングで再生開始して、コメントで反応する。
一人では決して見ることのできなさそうなキツいアニメも、これならどうにか目を逸らさずに続けることができる。感想を配信者や視聴者同士で共有することで、これまでに感じたことのないような楽しみを享受することができたように思う。

良いシーンにせよ、見るのが苦痛なシーンにせよ、すぐに思ったことを喋ってくれるのが素晴らしいところで、そのほとんどに共感できたからこそ特別な時間になったように思う。配信者との相性というのは重要だ。
昼過ぎまで続いたそれは、アニメの完走をもって終了したけれど、流石に終盤はみんな眠気との戦いでもあった。作品自体が無限に面白ければ良かったのだけれど、序盤に調子の良かった作品がその勢いを終盤まで保つのは難しいようで、見終わった後の感想は惜しいとか、もったいないとか、文句に終始する羽目になった。
以前に一人で見ていた時にも多少は感じていたことではあるけれど、一気に見ることで、そしてすぐに他者の意見が目に入る状況で考えてみると、作品の良いところ悪いところがハッキリとする。

ふと、思った。
今の私に必要なのは、意見を交換し、想いをぶつけられる相手なのではないかと。
現状は配信者を使って擬似的にコミュニケーション不足を解消しているけれど、いつまで続くかわからない。
インターネットだけで生きていけるのなら、このままでも問題ないかもしれないが、実際にはリアルの人付きこそが人生における長年の柱となるような気がする。