K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

わかり合えない

昨日の夜から今日にかけて一部の界隈を大きく騒がせている、とある問題……私はあまりTwitterを見ないので、知るのが随分と遅れてしまったのだけれど、どうやら革新的な試みを目指す新たなサービスが既存の仕事に悪影響を及ぼすリスクを懸念して、当事者になりかねない人々が否定的な反応を示しているという流れのようだった。
確かに彼らの心理は理解できるし、言っていることが間違っているとは思わない。ただ、あまりにも叩かれすぎていて、これでは日本が世界から遅れていくのもやむを得ない気がしてならなかった。

 

悪用に対する整備が不十分というのは、その通りだと思う。技術発展という側面に意識が向きすぎて、個々のクリエイターへの配慮が欠けていた感は否めず、賛否で言うと後者の割合が大きいというのは直感に合っているところだ。
しかし、人間というのはどうにも感情に動かされがちなので、あらためて事態を客観視してみると、その否定の形が過剰すぎるのではないかと思った。
よくよく読んでみると、一応は権利関係などが守られる仕組みを前提としてサービスを作っていたことに気づく。もちろん、このまま正式版としてリリースされたとして、不正利用を防げるかというとその限りではないから、その点に関する指摘がたくさん集まるのは仕方ないだろう。これ自体は運営としても、より良いサービスを提供するにあたって、ありがたい反応なのではないだろうか。
私が問題に感じたのは、自らの立場を脅かすかもしれない存在を恐れすぎるあまりに、徹底的に排除しなければならないと言わんばかりの、強い言葉を使った批判の数々だ。
現代のSNSは、本当に怖い場所だ。一度、このように燃え広がると、その勢いは加速度的に上昇して手が付けられなくなる。大勢に背く考えを述べようものなら、一緒に自分まで燃やされる可能性すらあるから、話題が大きくなるほど流れには逆らえなくなる。
意見を受けて、サービスは一日で公開を停止した。指摘されたリスクへの対策を講じられるまで、正式なリリースは難しいという判断だった。

私だって、曲がりなりにもクリエイターとしての立場を作っていきたい人間だから、言われているリスクとその影響については、想像できないことはない。
しかしながら、今はまだそういう段階ではなかった。どちらかと言えば、これはクリエイターにとって有利な、クリエイターが活用するために役割を担えるはずの、素晴らしいツールになる可能性すら秘めているのに……自分の理解できない新しいものを頭ごなしに拒絶する態度について、私は少し懐疑的な気持ちも抱いてしまう。

賛成寄りの意見として目にしたのは、法律的には問題ないということ。それから、技術的な観点では遅かれ早かれ海外が使い始めるものなのだから、防ぐことは困難であり、それなら早いうちに日本で技術を育てる方向に持っていかないと、クリエイターが培ってきた文化そのものが海外に奪われかねないという、より大きなリスクへの警鐘だった。
これについても、私は否定する材料を持たない。歴史を振り返ってみると、まさに他分野で日本が失敗してきた道筋そのものだからだ。
価値観は人それぞれだから、考えるのも呟くのも自由だ。どちらの意見も、論理と感情の双方から理解することができる。
けれど、自分の価値判断が絶対的な正義だと思い込み、理解の難しいものを攻撃するという動きについては、個人的にどうかと思う。
既に大きな地位を得ている人間にとっては、現状こそが至高であり、新しい物事の登場はマイナスでしかないのかもしれない。しかし、仮にそうだとしても早すぎるのではないだろうか。もうしばらくは冷静に、事態の行く末を静観する姿勢でいたほうが、あらゆる可能性に対応できるのではないかと思う。

 

この手の話題は定期的に盛り上がるものだけれど、現実的には非常にセンシティブな価値観を問う課題であるために、軽々しく断ずることは好ましくないと私は考えている。
面白そうだと思う人もいれば、親の仇のように敵愾心を燃やす人間もいて、受け取る情報が同じであっても方向性や程度がひどく異なるため、なかなか万人が共通の理解を得ることは難しい。

あらためて言えることは、Twitterというのは誰もが意見をインスタントに発信できる分、今回のような流れが生まれると本当に息苦しくなってしまうということだ。
特に、私は賛否両方の価値観を理解できてしまうだけあって、非常に胸が痛くなった。
みんな、素敵なものを生み出すために心血を注いでいるというのに、どうしてこうなってしまうのだろう。