K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

生存記録(20231017)

インターネットの中でも随分と狭いところを見ていることが多いからかもしれないが、世の中には自分の求めている通りにコンテンツが展開していかないと気が済まないという人間が結構な数いるのだなと、ふと思った。自身が最も気持ちよくなれるもの……それは確かに主観的な意味では至上の価値を持つだろうけれど、こだわりすぎると幸福度が下がりかねない。果ては、公式を罵ったり解釈違いだと言って理想を強要したりするものだから、純粋に提供されたものを楽しみたい立場としては、そうした輩は手に負えない。
私がコンテンツを娯楽として享受するにあたって基本としているのは、なるべく出されたものを受け入れる、というスタンスだ。もちろん、口に合わなくて楽しめのないことも稀ではないのだが、だからといってコンテンツ自体を否定する理由にはならない。問題なのは私との相性であって、それを心から楽しんでいる人だって探せばいくらでも見つかる。もし、面白くない展開が続くようであれば、それは離れる時がやってきたのだと認識することにしている。
作り手も人間なのだから、完璧ではない。明らかに公式の方針が誤っていると思われる事象にも、しばしば直面することはあるだろう。ただ、そうした場合は個人の好き嫌いという範疇を超えて、議論の余地はないほどにネガティブな意見が飛び交う。いわゆる「炎上」というのはそういうものだ。
そうではなくて、人によっては様々な解釈が可能であり、感性次第で賛否が分かれるような性質のコンテンツ展開については、たとえ自分にとって最悪としか思えない代物だったとしても、静観すべきではないかと私は思うのだ。苛烈な非難は時に、貴重な意見として改善の糧に昇華するかもしれないが、多くの場合、本質的には不幸をまき散らす災禍に等しい。好きな気持ちに突き動かされて情報を集めようとしているのに、うっかり攻撃的なコメントを目にしてしまうと、まるで事故にでも遭った気分になる。
文句があるなら、誰の目にもつくところで発信するのではなく、直接「ご意見」を送ればいいのに……それができない傍若無人が多すぎやしないだろうか。