K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

確定した大きな支出

昨年の秋以降、定期的に歯医者に通っている。
最初は虫歯の治療で、その後は経過観察とクリーニングのため……金も時間も随分と取られるから、本心では行きたくないのだけれど、以前に長いこと矯正していたこともあって口の中を専門家にイジられること自体は嫌ではないから、複雑な心境だ。

 

今日は六月以来の定期クリーニングだったのだが、どうやら新たな虫歯が目立ってきているということで、今後の治療について話を持ち出された。
勘弁してくれ、と思った。治療に入ると半月ほど食事が大変になるし、何より出費が痛すぎる。
一本につきソシャゲの一天井分くらいは取られるのだから、倹約家である私にとっては目眩がするような支出になってメンタルがダメージ受けてしまう。
そもそも、指摘された箇所の「異常」は何年も前から自覚があったのだ。なぜ、今になって言ってくるのか私にはわからない。

担当医が言うには、初診時に検知はしていたものの、大きくないし緊急性はないとのことで、様子見していたらしい。
それならそれで教えてくれていてもよかったのではないかと思ってしまうが……向こうも商売なので、それなりに大掛かりな治療に適した大きさになるまで放置しておいたほうが、早々に削ってしまうより稼げるという判断なのかもしれない。

さて、そういうわけで今月の半ばから月末にかけては、イヤイヤながら治療と向き合う羽目になってしまったけれど、今回は口頭で説明を受けただけなので、どれくらいの規模になるのかイマイチ把握できていない。
見た目でわかる虫歯の範囲は大したことがないように思えるのだが、内部では意外と進行しているのだろうか。まだ歯痛が起こるほど広がってはいないし、説明のニュアンスから猶予はある感じだったので、過去の治療と比べたら小規模である可能性は高い。
ただ、個々の虫歯は小さいにせよ、及んでいる歯の数が最低で2つ、多ければ3つという状況のようなので、出費そのものは過去の治療に匹敵するというのが、やはり最も大きな悩みの種となる。
削る量は軽度であっても、詰め物が小さくても、費用が同じというのは納得いかない。そういうものなのだと受け入れるしかないのは、もちろん理解しているが、このところ支出に対するネガティブな気持ちが増加しているだけあって、考えれば考えるほど気分が落ち込んでしまう。

 

運が悪い。
だいたい、私は食事の回数が他の人間と比べて少ないはずなのに。大して食に関心がないというのに、どうしてこんなにも歯の問題に悩まされなければならないのだろう。
食事回数が多いほうが、むしろ唾液がたくさん出るとか、食事による摩擦で汚れが落ちやすくなるとか、特別な理由があるのだろうか。そういうことなら自業自得ではあるが……それにしても運が悪い。
一部の虫歯は、矯正中に使用していた器具の影響で生じたものと思われるから、自分のせいではないとも言える。

溜め息ばかり出てしまうが、これはもう物理的に覆しようのない事実だから、悩んでも仕方ない。
運が良かったのは生まれだけ。私が個人的に経験するあらゆる出来事は、他者のものと比べると恐ろしく下振れていることに、そろそろ気づいてきた頃だ。

これは持論だが、運は不平等であり、人間の持つ特性であり、当たりや外れといった確率の偏りは収束するよりも生まれ持った性質に寄って具現化していく。
運という補正が人生全体に効いていると思えば、己に与えられた傾向を否定して現実逃避するよりも、その状況下で最良の立ち回りを探ったほうが、気持ちとしては幸せに近づけるのではないだろうか。