K's Graffiti

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ざっくり支出計算

生涯に必要な金がどれくらいなのかと、誰しもどこかで考えることはあるだろうが、調べてみると一般的には3億円程度らしい。
はたして本当にそうなのだろうか。
そもそも、生きるために、日常的に使う金なんて人それぞれ異なるわけで、たとえばリタイアするまでに3億も稼がなければならない……なんていう風に思うのは、あまりにも短絡的すぎる。
こういうのは、今後の人生で想定できる個人的な生活において、おおよそどれだけの支出があるのかをぼんやりと把握しておけばよいのだ。

 

確かに、そういった個人差を考慮した上で、平均値を出すと3億に近い数字になるのかもしれない。
ただ、そこには現代の価値観には必ずしも一致しない営為も含まれているはずで、その最も大きなギャップを作り出すのは結婚および子供の育成に関わる部分だろう。
共働きなら、むしろ結婚したほうが効率的という話はあるけれど、そこに至るまでの交際費や結構費用は馬鹿にならないし、子供が生まれてからの育児や行楽費、家族行事などを想定していくと、独り身と比較して大きな出費が求められる機会は爆発的に増加する。
仮に大学卒業まで面倒を見るとした、それだけで4桁万円は当たり前のように使わなければならない。いや、しなければならないという言い方は、子育てにおいて適切ではないかもしれない。子供が生まれたら、それを含めて自らの人生の一部になるわけだから、ごく自然な形で結果的に年間の支出が増えることになる、という考え方でいいだろう。

ともかく、私は今のところ誰かとの結婚を想定できる人間関係を一切構築できていないばかりか、普通の友人関係すら希薄なので、平凡な交際費すら必要ないという状況だ。
他者の温もりを求める一般的な感性を持ち合わせていたら、どこかしらに交流を求めにいくのだろうけれど、一人きりの生活に不満を抱いていないせいで、別にわざわざ出会いの場を設けようという思考に至らない。
導き出される結論は、生涯独身の一択だろう。この年齢になって価値観や性格が大きく変化するとも思えず、そもそも人付き合いが好きではないのだから、外側から強制されない限り現時点の予測から外れるという道は考えづらい。

さて、最初の話に戻るが、死ぬまでに必要な費用をあらためて考えてみると、私個人に限って言えば平均値を極端に下回ると思われる。
基本的に在宅で生活が完結するし、金のかかる趣味はない。家賃と光熱費、食費に少しだけ変動費を加えればいいわけで、ざっくり書いてしまうと、月あたり12万〜15万もあれば十分という判断になる。
住民税や保険料、年金などに持っていかれる分を加えても、年間支出は200万未満に収束することだろう。
もちろん、これは私が無理なく許容できる最低限度の水準で生活することを受け入れているから可能なことであって、住宅環境や食事を優先したい人には絶対に真似ができない生き方だ。
人それぞれに妥協ラインがあり、譲れないポイントがある。幸いにも、私の場合はそれが金のかからないパターンだったというだけの話だ。

年齢を重ねていくと、身体の不具合は増加するはずで、たとえば定期的な通院などが必要になってくる可能性はある。
なるべく、そうならないように健康体を維持していきたいところではあるが、何しろ意識して動かなければ運動不足になる生活を続けていて、滅多に外出しないから日光浴不足になりがちだし、いずれ急にガタが来ても不思議ではないのだ。
そうなった時に、治療費だとか手術費や入院費などなど、確かに支払えるような貯蓄は、人生において平等に求められる側面ではあると思う。
ただ、若いうちから身体が駄目になった時のことを想定して動いている人はいないし、なんとなく生きていて、なるようになる、というのが妥当な感覚というものだろう。
私も、今のうちからそこまで計算に入れるつもりはない。

 

生涯支出の話に戻るが、私のスタイルなら1億円ほどあれば問題なく生きていけるという結論に至った。
これが何を意味するかという話なのだけれど……3億円を稼がなければならない一般人は、せっせと不断に働いて、自らの時間を労働に捧げ尽くして、何十年もかけてようやく到達できるかどうかという額に違いない。
今の日本だと、それでも難しい可能性のほうが高いかもしれないが。

そうではないのだ。私は、そんなに稼がなくてもいい。稼がなくても、無理なく生きていける。
これに気づいた時、精神的に非常に楽になった。
もちろん、金があるに越したことはないけれど、それほどなくてもやっていけるという事実は、身体に無理を強いないのだ。
浮いた時間と体力は好きなことに使えるし、むしろ好きなことにリソースを費やして、それだけで賄えるようになれば理想的でもある。

生き方と性格という成人するまでに獲得した初期パラメータにおいて、私は比較的イージーモードで人生を考えられる状況に入ることができた。
この優位を活かして、今は焦らずじっくりと、転落しない程度の土台を作ることにエネルギーを注ぎたいと考えている。
つくづく、他者には推奨できない舐めた人間性であることは自覚しつつも……結局、これが私なのだ。これしか、ないのだ。