K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

家庭を感じる

しばらく予定がないため久々に帰省しているのだが、知ってはいたけれど相変わらず暇で仕方ない。日頃、活動時間の大半を自宅のPC前で過ごしている私にとって、スペック不足のスマホか画面の小さいiPadしかインターネット環境がない状態は、少なからずストレスなのだ。
とはいえ、それ以外の生活上の問題点は、事前に予想していた通り解消されることがわかった。

 

自宅と違って自分一人だけの空間ではないから、好き勝手に動くわけにはいかないし家族であっても多少は気を遣う。とはいえ、互いに過剰な干渉があるわけではないから、食事時を除けば比較的自由が与えられていると言っていいだろう。
これが長く続くとなると、また話は変わってくるかもしれないが、部分的に切り取って考えれば決して悪くはないと思い直した。そもそも、生まれてから二年前まで問題なく過ごしてきた家庭という空間が駄目なわけがないのだ。

最も大きなメリットは、睡眠に一切の邪魔が入らないことだろう。閑静な住宅地で夜はとても静かだし、朝方にドタバタ起こされることもない。
もっぱら最近の体調不良は隣人の迷惑行為による睡眠不足に起因していたところがあるので、これが健康状態にもたらす影響は計り知れない。
また、自らの壊れた体内時計に依存していた食事が一定のタイミングで確実に摂れるというのも大きな意味がある。
結局、食事が億劫な人間に栄養を取らせるには、一人にさせず誰かと同居させるのが一番なのだということを自ら思い知っている。
私は極端な痩せ型といえど決して拒食症ということはなく、目の前に用意されたらしっかり食べることができるため、健康状態の維持や向上を目指す上では一人暮らしよりも実家に戻ったほうが好ましいのは火を見るより明らかだ。

次点で好意的な見方ができるポイントとしては、少なくとも会話という原初的なコミュニケーションが発生することだ。
自宅で一人きりの時間を長く過ごしていると、すっかり一人きりでも大丈夫な人間性が育まれてしまうものだけれど、人間というのは元来、人と人とが支え合う字のごとくコミュニケーションを前提とした生物である以上は、会話の起こらない日常はイレギュラーなのだ。
ひょっとしたら、気づかないところで年齢不相応に脳の退化ないし痴呆の進行が生じてしまう可能性もあるため、己の欲求とは別の次元でコミュニケーション機会の少なさには危機感を覚えていた。
一応、予防の意味も込めて、自己対話のつもりで欠かさずに日記を書き続けてきているわけだけれど、帰省中は確実に会話イベントが起こるところから、日記という日課の価値は相対的に落ちることになる。
家を出る前には当たり前だった他愛ない会話を貴重なことだと思うようになったあたり、随分と家族という存在に対する認識も変化したものだ。

 

あまり長居しすぎると甘えてしまって帰れなくなるから、週末のどこかで戻るつもりではある。
ただ、先月には著しく体調を崩してしまったこともあり、完全に調子が整うまでは実家で休んでもいいのてはないかと思わないでもない。
食事が身体に浸透するまでには二、三日は必要なので、ある程度は体重が戻ることを期待するなら、土曜日以降がベストということになるだろう。