K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

原初の記憶に触れる

人が覚えている最も古い記憶というのは、一般的に何歳くらいからなのだろうか。
私の場合は、特定の印象的なシーンを除くと、エピソード単位で思い出すことができるのは3歳の頃が限界だ。残っている写真などから遡れる一部の場面を切り取ったようなイメージを含めれば、1歳や2歳の自分というものを認識することも不可能ではないけれど、基本的にアイデンティティを自覚し始めたのは3歳以降であると考えたほうがスッキリする。

 

もちろん3歳にしたって随分と昔の話なので、たとえば昨年や一昨年といった近い時期と比べたら、その思い出の輪郭は曖昧であると言わざるを得ない。
あらゆる出来事や経験を鮮明に記憶し続ける能力を持った人間も世の中には存在しているようだが、こと記憶力に関して言うと、私は普遍的な特徴を備えていると言っていいだろう。
時の経過とともに、古い情報は徐々に失われていくものだ。

ふと、当時を振り返ってみて脳裏に浮かぶのは、どのような生活をしていて、その生活に私がどのような感情を抱いていたかということだ。
楽しかったのか、大変だったのか、苦しかったのか、幸せだったのか……子供なんて、その日ごとに気分が大きく変動するものだから、一概に生活全体の印象を後から規定することはできないけれど、なんとなく頭の中に残っている記憶のピースを集めていくと、概ねポジティブに捉えていいのではないかと思った。
決して、至高ではなかったかもしれない。それでも、そこには確かな幸せの形があったのだと確信している。

昨日、帰省していると書いたが、今日も自宅には戻らなかった。自宅環境で取り組まなければならない作業は現状なく、体調面の整いを重視するなら、やはり週末までは動かないほうがいいだろうという判断だ。
夜に、珍しく親と真剣に話す機会を作ることができた。
テーマは社会問題や恋愛事情、まるで一般性の欠片もない私の生活など、それなりに多岐にわたったけれど、次第に昔話に移っていき……私が3歳から5歳までに過ごした環境について語るシーンがハイライトとなったように思う。
具体的には書けないけれど、言ってしまえば当時の私は不思議な生活を送っていたのだ。小学校入学以後と、それ以前……つまり私は自覚している最も古いエピソードの数々は、その延長線上に現在を作っているわけではなかった。
何しろ本当に幼い頃の話であるから、意識しないと認識することさえ難しい「違和感」なのだけれど、よく考えてみると確かに妙だった。どうして私は、そして私の親は、あのような生活をしていたのだろう。

記憶の中に生じた空白を初めに自覚したのは、いつだったろうか。常に心の片隅に違和感を抱え続けたまま生きていたような気もするけれど、明確に意識することになったのは大学の頃だったかもしれない。
確か、授業の課題で個人史を書くことになったのだ。生まれてから現在までの出来事を、思い出せる限り順を追って記述していく……その中で、ポッカリと空いた特徴的な期間に気づくことになった。
流石に大人にもなれば、なんとなく状況を推察することは無理ではない。細かい人と人との動向については知る由がないとしても、大雑把な事情はいくつかのパターンに絞り込める。
これまで直接、親に尋ねることはしてこなかったけれど、話してくれるまでは自分の中で納得できるだけの仮説は作っていた。

互いに、そんなつもりはなかったはずだが、話の流れで当時に何があったのかを聞き出す形になってしまった。
私には知る権利があったのだ。別に、それ自体は遅かれ早かれの問題であり、変に構える必要もなかった。
寝る前の夜中であったから時間的にも心にも余裕は少なく、そして内容が内容だけに感情が強く刺激されることとなった。話すことで楽になるはずなのに、口を開いて言葉を紡ぐのがこんなにもしんどいなんて。
泣きそうになりながら、私は記憶の穴を埋めることができた。推測は推測であり、完全には合っていなかったし、想定以上の驚くべき事実も聞くことができた。

 

一夜が明けて、精神はすっかり落ち着いたけれど、あの頃の出来事について思いを馳せると奇妙な気分になる。
もともと、不思議を伴う記憶の断片を探る行為であったために、真相が明らかになった今でも受け入れるまでは時間を要するようだ。
ちょっと特別な、私だけの記憶。私が明瞭に思い出せる最古のエピソードであり、忘れるはずもない生活だった。
それは客観的には厳しかったに違いないけれど、子供だった私は、それを不幸だとは感じていなかったのだと思う。
かけがえのない思い出だ。