K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

食に無知

生まれ育った環境によって、食というものに対する認識は異なるものだと思っている。
たとえば高級料理の味だとか、あるいは高級食材を用いた上質な食事の味わいといったものは、貧しい家庭において知ることのできる可能性は限りなく低いだろう。
一方で、裕福すぎる生活に慣れていると、ジャンクフードなどのいわゆる庶民的な食事とは縁遠いかもしれない。

 

食に関する知識のレベルで言えば、私は偏差値30台なのではないかと思うくらい、何も知らないという自覚がある。
実際のところは、金銭的に不自由のない家庭に生まれたので、幼少期から長期休暇には旅行というのが定番だったし、定期的に悪くない店で外食をしてきたから、高い食べ物についてまったくの無知というわけではない。
ただ、私自身は日頃から最低限しか栄養を摂取しないことからもわかるように、食という行為への興味が人類最低レベルなのだ。
というのも、口に入れる前、あるいは口に入れた瞬間に吐き気を催すような嫌悪感が生じなければ、何を食べることになっても気にしない。それが仮に安価でみすぼらしい食事であっても、身体を維持できるだけの栄養源になるなら特に構わないし、問題なく飲み込めるのであれば味にこだわりもないのだから。

むしろ、知らない領域という意味なら、多くの人間が少なくない頻度で味わっている平均的な食べ物について挙げていくほうが、わりと簡単かもしれない。
具体的にこれという話はないのだが、最も高確率で当てはまりそうなのは菓子類だろう。
私は日常的に、一切の間食をしない。他者とのコミュニケーションの流れで、昼から夜までの間に食事の機会が与えられる例外を除き、自ら食事のタイミングを選択できる日であれば、基本的には胃が空になるまで何かを口にすることはないのだ。
これは、本当に幼い頃からの変わらない習慣だった。親が、特に母親が間食に前向きではなく、菓子類を日頃から購入することがなかったという点が最も大きな原因だとは思うのだが、そういうわけで自宅にスナック菓子や甘味製品などが置いていないことは、当たり前だった。存在しないものを、欲しいとは思わない。
ただ、習慣はあくまで習慣であって、これだけ生きていると菓子類と絶対的に無縁であることは難しい。
年に数回は、何かしらの理由で食べる状況に置かれることがあったので、菓子類の味をまったく知らないというわけではなかった。有名なメーカーの有名な菓子であれば、なんとなく味をイメージすることはできる。

ファストフードなども滅多に食べることはないのだけれど、箱入りのお嬢様というわけではないのだから、もちろん経験がないわけではない。
中学高校と、人付き合いで寄ることは普通にあったし、家庭においても食べる機会は稀にあった。
ただ、ここで言う「知っている」というのは、味の大枠の話でしかない。つまり、好んで日常的に選ぶ食事ではないため、細かいメニューの違いなどについては認識できない可能性が高いということだ。
ハンバーガーはハンバーガーでしかないし、フライドポテトはフライドポテトでしかない。牛丼でもラーメンでも同じことで、年に数回か、もしくは数年に一度くらいしか口にしない食べ物について、詳しくなれるはずもない。これは菓子類についても言える話だ。
ほとんどの日本人が「よく食べる」品々が、私にとっては非日常の食事であり貴重な体験ということになる。
道行く人に尋ねれば、過半数が正答できるでろう食に関する質問に、私は正しく回答できる気がしない。だって、普段は食べないのだから。それらの味や種類については、なんとなくの雰囲気しか頭の中にない。
一般人が戦車や銃機器の区別がつかないのと同様に、私は庶民的な食事を判別する目や舌を持っていない。

 

ふと、Twitterのトレンドに目を向けると、食に関連するワードが上位に来ていることがたまにある。
期間限定のキャンペーンであったり、RTを用いた割引クーポンの配布であったり、内容は様々ではあるが、私が惹かれるようなものが視界に入ったことは、今のところない。
わざわざ手間をかけて入手しようとも思わないし、外に出て店に赴くほどのモチベーションも湧いてこない。
生きていくために必要な栄養は、だって私が飽きずに繰り返している低コストで効率を極めた食事で十分なのだから。

食事に栄養摂取以外のものを求めようとすると、何かと金がかかって大変そうだというこのは断言できる。
食が幸福に結びつかない私のような性分が、はたして本当に幸せなのかどうかは……まぁ諸説あるだろう。