K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

前に進むために前を向く

昨日で正月休みが終わり、今日から元の生活に戻るという人もいるだろうし、週末までは休みが続くから、もうしばらく休暇を満喫するという人もいるだろう。共通しているのは、一瞬で過ぎ去る休日への嘆きなのではないだろうか。楽しいとは限らずとも、学校や仕事などと比べて相対的に、この年末年始が嫌な期間であるという人は少ないと思うからだ。
まぁ例によって、私にはあまり関係のない話なのだが。

 

実家という空間は落ち着く。変に気を遣うことのない、数少ない存在である血の繋がった家族がいて、独立する前は長く暮らしてきた家なのだ。たとえば、家族と不仲であるとか、ネガティブな思い出ばかりとかいう特殊な事情がなければ、概ね万人に当てはまる性質なのではないかと思う。
しかし、私は私の生まれ育った家庭しか知らないから、実のところこれが普遍的な感覚なのかどうか、いまいち自信が持てない。基本的には金に不自由することのない裕福な家庭で、幼少期から親の愛を存分に受けながら育てられてきた。
こうして文章にしてみると、あまりにも恵まれていた気がする。世の中の平均的な家庭事情は、私が思っているよりもずっと厳しいのかもしれない。
そんなわけで、実家が落ち着く場所であるという考え方をできる私は、それなりに幸せである説……そんなものが、ふと浮上した。
いや、そもそも不幸だとは思っていないのだが、客観的な話として、社会に適合することを避ける道を選ぶことになった今の私の状況を考えると、決して普通の家庭ではなかったと言わざるを得ないのだ。まぁそれだって他の家庭の詳細を知る術がないのだから、単なる印象でしかないかもしれないし、私が突然変異的に捻くれた性質を備えて生まれてきただけという可能性も否定できない。
そう、何もわからないのだ。
物心がついてから現在までの出来事と、今ちょうど直面している現実などを総合してみて、どちらかと言えばマイナスよりもプラスに捉えられるのであれば、もう十分ではないか。
そんな風に思考を持っていくことで、ひとまずアイデンティティの質は保つことができると思う。

落ち着くのと引き換えに、心が甘えてしまうもいう側面も否定できない。
寒さで身体を震わせることはないし、夜中に妨害されることがないから睡眠不足に悩まされることもない。
自分で無理に動かなくても食事に関する問題は生じないし、特に意識せずとも体重が過度に減少することはない。
悪い言い方をすると、まさに「ぬるま湯」なのだ。
このような状況でも自己の行動スケジュールを遵守できる立派な人間はいるのだろうが、生き物というのは本質的に楽なほうへと流れてしまうものなので、自ら何もせずに生活が完結してしまう環境に浸っていると、どうしてもパフォーマンスは低下してしまう。
完全に息抜きということで心身の回復に努めるのであれば、このように怠惰に過ごしていても問題ないのだが、私の場合は今のところ外部に行動を縛られる余地を作っていないため、怠けようと思えば永遠にこのまま、ということも理論上ないわけではない。
要するに、どこかで自らに働きかけて行動を起こさねば、いずれ後悔する羽目になるというわけだ。
帰省する度に、似たような心情は日記に書いてきた。やはり、ここに長居しては駄目になる。

 

明日の夕方には自宅へと戻るつもりだけれど、おそらく帰宅直後の室内は冷蔵庫のように冷えていて、床や天井や壁に一定の熱を与えるまでは、私の身体は使いものにならなくなるだろう。
電気代の節約中とはいえ、一週間弱も家を空けていたのだから、多少の暖房使用には目を瞑るしかない。

年が明けたからといって、特別に意識を改めるつもりはないけれど、そろそろ本格的に自身を鼓舞しなければ窮地に陥ることになりそうな頃合いだから、近々頑張って活動に踏みきる必要がある。
土日のうちに始められたらいいのだが、スロースターターな私はエンジン点火から本格稼働までに時間を要することが多い。
隣人に邪魔されないという前提で進められるなら、諸々の条件が整いそうなのは来週の月曜からが目安になりそうだ。