K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

冷蔵庫に帰る

実家への帰省から戻り、およそ一週間ぶりに自宅で寝ることになるわけだけれど、あまりの寒さに目が冴えてしまって仕方ない。こんな空間で眠れるとしたら、それは連続活動時間が身体の許容範囲を超えて、気絶するようにベッドへ倒れ込む場合だけだろう。
せっかく年末年始は温もりに満ちた実家で、わりと規則的な生活ができていたというのに……さっそく昼夜逆転しそうになっていて、今年も先が思いやられる。

 

知ってはいたのだ。数日前に、こうなるであろう予測を日記に書いたような覚えもある。
一週間も家を空けるということは、室内の気温をほとんど外気温と等しい水準まで下げてしまうということになるのだから、帰ってきて過度な寒さを感じるのは当然の話なのだ。驚くような出来事ではない。
いや、しかし……それにしても、寒すぎるのではないだろうか。帰宅直後から、多少の電気代は気にせずにエアコンを動かした。それなのに、3時間もフル稼働させたにもかかわらず効果はイマイチだったのだ。
たとえば、これが先週の家を空ける前日だったとするなら、2時間の暖房で21℃前後の過ごしやすい気温まで上昇していた。
現状では、3時間で18℃台がやっとという有り様で、このままでは流石に電力使用量が心理的ボーダーを超過してしまう。
そもそもスタート地点が異なるのだから単純に比較はできないという考えはあって、常に在宅の場合は室内の最低気温がせいぜい16℃程度だった。今回、帰宅直後に室温計を確認したところ11℃と表示されていたから、それはもう室内を暖めるのに時間を要するはずだ。
加えて、壁や天井がたっぷりと冷気を溜め込んでいるわけだから、単純に空気だけを対象にすればいいという話ではない。
結論から言うと、一晩でどうにかするよりは、何日かかけて少しずつ元の環境に戻していくしかないということになる。それまでは、どうあがいても寒さに震える日々を余儀なくされるしかないのだ。

実家では、基本的に寒さを感じることがなかった。床暖房完備で、特に節約などしていないから当然なのだが、それによって私の寒さ耐性はリセットされてしまった感がある。
帰省前の私は、一日あたりの暖房使用時間を制限して、可能な限り服を着込むなどして寒さを我慢する方針で生活していた。そのため、先月末は多少の寒さであれば気にせず平気でいられたのだけれど、あらためて冷えきった室内を全身で味わってみると、思っていたよりもずっと厳しい。
一方で、実家は暑いくらいだったから、昼夜を問わず眠気を感じることが多々あった。体力的には起きていられるはずなのに、つい昼寝を貪って時間を浪費してしまう……そんなリスクが生じづらいのは、ある意味で助かるかもしれない。涼しいと表現するには気温が低すぎるけれど、こうして頭がスッキリする感覚自体は嫌いではないのだ。

懸念点は、おそらく翌朝まで眠れそうにないことと、熟睡できないかもしれないことだろう。
既にエアコンの電源は切っているから、再び室温は下降し始めていて、これを書いている現在はちょうど16℃になっている。
就寝を試みる頃にはもう少し下がっているだろうし、これだけ寒いと冷気が羽毛布団を貫通して身体から熱を奪いかねない。
苦労して睡眠状態に入れても、隣人が発する些細な物音などで目を覚ましてしまう可能性は常に存在しているし、そんな時に冷気がトリガーとなって一気に現実へと引き戻されるビジョンは容易に浮かんでくる。
生きるためには酸素が必要だから、顔だけは布団から出しておかなければならない。眠っている最中にも、決して安心することはできない。
冬に暖房を我慢するなんて、今回の冬が人生で初めての挑戦なのだけれど、これから寒さが一層、本格化してくるにあたって、やや節約意識を緩和する必要があるかもしれない……なんてことを、全身が冷えつつある中で、ふと思った。