K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

スケジュールアレルギー

生理的欲求に従うだけの生活は気楽なものだけれど、当然ながら社会性は低下する。
人付き合いは最低限、というより皆無に近く、スケジュールに書き入れられる定期的な予定なんてものは存在しない。一週間のうち半分以上の時間が自らの自由を拘束する形で埋まっている日々……こんな言い方をすると妙な印象を覚えてしまうが、極めて一般的な現象だろう。しかし、私がそうではなくなってから、もう随分と久しい。

 

いくら出不精の引きこもりでも、まったく外に出ないというのは困難なものだ。実家にいるのならともかく、一人きりの空間で生きているのであれば、なおさら外出を強いられることは少なくない。
とはいえ、それでも週に一度か二度なので、普遍的な感覚からすれば頭がおかしくなっても不思議ではないと思う。

買い出しは最も主要な外出理由の一つではあるが、たいていは食料不足回避のためだから、潤沢な金さえあれば本来は減らすことができるはずだ。多少のコスパは気にせず、配達を頼めばいい。
私の場合は、わりと無理なく実現できる限界近くまで食費を切り詰めているから選択肢に入らないというだけで、もう少し余裕があったなら調達の手間を省きたいというのが本音ではある。

次点としては、通院か散髪あたりになるだろうか。今は歯の治療中だから、十日に一度くらいの頻度で予定が入れざるを得なくなっている。
髪が伸びてきて気になり始めたら美容院の予約をするが、これは二か月に一回程度であり、個別に見ていけば滅多に煩わしさを覚えることなんてない。
しかし、それが連続で入った場合はどうだろう。予定に縛られることに慣れていない私が、頑張って体内リズムを決められた時刻に合わせて行動した翌日に、別件のために動く。そこには、かつて最低限の社会性を帯びていた私が経験したことのないような、厖大なエネルギーの消耗がある。

当たり前の話をするが、予定つまり何かしらの約束があるということは、決められた時間に現地に居合わせる必要がある。人間関係は一定の信用の上に成り立つものだから、時間というのは基本的に、絶対に守らなければならない要素の一つだ。
たとえば昼を過ぎて、眠くなったから寝る。普段の私なら好き勝手にできるけれど、予定のある日は理性が欲求を抑制する。ここで横になったら、間に合う時間に起きられるかわからない。寝坊してはならない。だから、我慢する。
これは強烈なストレスだ。一日だけなら大したことはないのだが、連日となると精神的負担は大きくなる。
たまたま睡眠と起床のバランスが予定の時間と噛み合っているなら、大した苦痛は伴わないだろう。残念ながら、ここ数日の私は隣人の影響により、著しく体調を崩している。とてもとても、すっきりとした目覚めで朝を迎えられているとは言いがたい。
ふらふらになりそうになりながら、決められた時間に決められた場所に向かうことを強いられるのは、体力の落ちた今の私にとって強大な課題に感じられるのだ。こんなに大変だとは想像していなかった。

 

前々から決めていると、都合が悪くなりやすい。
事前にスケジュールが把握できていたほうが、そこに向けて調整しやすくなると考えがちだけれど、現実にはそう簡単ではないのだ。
結局、意識するのは予定の数日前とか、ひどい場合は前日からになるし、残された時間で狂った生活を修正していくのは難易度が高いのだ。一切の不都合が生じないのは、上にも書いたように運よく噛み合っている時だけ。確率的には、だいたい半々か、若干それを下回るくらいだろう。

一方で、急にスケジュールへ割り込んでくる予定は、意外にも万全に臨めることが多い。
そもそも臨機応変に対応できるタイミングというのは、睡眠欲から解放されていることが多いし、すなわち比較的元気のある状態だから勢いを維持しやすいわけだ。
何日も前から長々と予定を想像しながら疲弊することはなく、どちらかと言えば突発的に出かけてトントン拍子で気づいたら終わっている、なんてことが珍しくない。
今のところは決まっている予定しか予定されておらず、私を外に引き出してくれる存在が声をかけてくれる見込みが立っていないところが、心から悲しいのだが……世間の感染状況が落ち着くまでは、もうしばらく耐え忍ぶしかないようだ。