K's Graffiti

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花粉症対策

あっという間に二月も終わり、いよいよ春になってほしい気持ちが高まってきた今日この頃……既に苦しんでいる人は世の中にたくさんいるのだろうけれど、これから気温が上昇するにつれて威力が増してくる花粉について、そろそろ意識していかなければならない。
私は花粉症歴が長く、記憶が合っていれば二十年以上の付き合いになる。慣れているといえばそうなのだが、やはり大量の花粉を吸い込んだ日には具合が悪くなるから、対策するに越したことはない。

 

症状に個人差がある以上は、ここに書く内容は基本的に私にしか当てはまらないかもしれない。
毎年、死にそうなくらい大変な目に遭うという人は、昨年末の時点から薬を飲み続けるなどして対策を打ってきているのだろうし、私の場合はそこまで酷くはないから、実のところ程度はかなり軽いほうという可能性はある。

花粉症の思い出というと、真っ先に浮かんでくるのは学生時代の授業中の苦しさだ。
ある意味で衆人環視の、自らの行動を抑制しなければならない空気感の中では、好きなように鼻をかむことは躊躇するし、持ち運べるティッシュの量にも限りがあるから、本当にしんどかった。
鼻からポタポタと垂れてくる水分に意識を取られて、授業に集中することは難しく、呼吸は浅くなる。目も痒くて仕方ないし、帰宅したら目と鼻を徹底的に洗浄したくなるものだった。
体感の話になるけれど、当時は世間に花粉症を発症している人が少数派だった気がするため、私の境遇を理解できる人も少なかったように思う。マスクを着用すれば変に目立ってしまうし、大量の鼻水やくしゃみに苦労している姿を風邪と間違われて捉えられていたことも、おそらくあっただろう。
今はコロナの影響もあり、オンライン授業や在宅ワークなど、外に出ないで一日を過ごせる環境が普遍的なものとなった。相変わらず毎日のように外出が習慣となっている人も多いとは思うけれど、個々の都合に応じた選択肢が増えたというのは素晴らしいことだと思う。

さて、やや話は変わるが、私が発症している花粉症は、大まかに前半と後半で分けることができる。
端的に言うと、症状の過酷さが昔と比べて緩和されたのだ。
厳密な仕組みは知らないけれど、腸内環境の変化によって花粉に対する反応と変わるという説を聞いたことがある。別に、意識して体質の改善に取り組んだわけではないのだが、年齢を重ねるにつれて徐々に自身の免疫機構に変化が生じたという風に理解すれば、とりわけ不思議な現象ではないのかもしれない。
ともかく、今の私は上に書いたような学生時代の苦しみを体験することはなくなった。
もちろん、花粉が飛び交う季節に外出すれば、多少なりとも影響は受ける。鼻水や目の痒みは依然として発生するし、できれば外に出たくないという気持ちは変わっていない。
ただ、その度合いが明らかに、二十年前なんかと比較すると日常生活に支障を来さない程度にまで楽になっているのだ。
花粉症の深刻さには、実体験を伴った解像度の高い理解があるけれど、現在の私がそれを味わうことはない。高みの見物というか、名状しがたい優越感のようなものがある。

 

本題に移るけれど、花粉症と長年の付き合いを経てきて感じる最も有効な対策方法というのは、至ってシンプルであることに気づいた。
それは現在進行系で実践していることであり、おかげで今の私は現時点においていまだに今年の花粉を実感せずに済んでいる。
そう、つまり外に出ないことなのだ。花粉を吸い込む機会を完全にゼロにすれば、花粉症に悩まされることなんてなくなる。当たり前の話ではないか。
まぁ完全に真似をできる人は、決して多くはないだろう。在宅が大好きな、引きこもり気質を備えた人間の特権と言い換えることもできる。
毎日、必ず外の空気を吸わなければストレスが溜まるといった、私とは真逆の人間には絶対に無理な対策手段だ。

現実的には、普通の生活環境であれば外に出ずとも部屋の空気が淀むことを是としないはずなので、定期的に換気を行うだろう。だから、花粉との一切の接触を断つのは難しいかもしれない。
私は換気しなくても気にしない性質なので、このままスギ花粉が飛ばなくなる時季まで同じ空気を吸い続けることだって可能だ。
唯一、買い出しのような避けられない外出機会に僅かなリスクを負うことにはなるけれど、週に一度よりも少ない頻度だから大したストレスにもならず、我慢できる。

まだ深夜には冷え込むものの、日中には震えるような寒さを感じる日が減ってきた。春は近い。
そして花粉シーズンが終われば、いよいよ夏が見えてくるだろうし、ようやく私も実質的な冬眠状態を終えて、まともに動ける体制を整えられるようになる。
その日を楽しみにしながら、明日を、そして明後日を迎えていきたい。