K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

多少の筋トレでは何も変わらない

数週間前にスクワットを始めたという日記を書いたが、毎日の習慣ではないものの一応は続けることができている。
当初は調べもせず、適当に膝を上下させるだけだったのだけれど、下手をすると膝関節を痛めかねないと思い、ある程度は負荷を軽減できるフォームを維持しながら取り組むことにしている。

 

はたして成果が出ているのか、見た目には大きな変化は感じられない。ただ、回数を重ねるごとに筋肉痛の度合いや負荷体制が上がっている実感はあるため、大臀筋付近の筋肉の質は上がっているに違いない。
そもそもスクワットを始めた理由は、冬という季節が気軽な外出を許してくれず散歩の実施が困難なため、室内で実現可能な運動を探したところ効率が良さそうだからだった。
腕立て伏せなど上半身のトレーニングは、貧弱な肉体にはあまりにも厳しい。一方で、人間である以上は常に足腰の活用が求められるわけだし、筋肉自体の大きさも上半身とは比べものにならないから、多少のトレーニングには耐えられるのではないかと判断した。
本格的に鍛えてムキムキになろうなんて思ってはいないため、せいぜい散歩を再開した時に動けなくならないように備えられたらいい、くらいの認識だ。
結果的には正解だったようで、一回あたり所要時間は数分、それを週に数回というレベルだから無理なく続けていける。

なお、ちょっと筋トレをしたくらいでは体重に大きな変動はなく、相変わらずBMIは15台の前半を上下している。強いて言うなら、微妙に減ったくらいで困ったものだ。
ほとんど動かず、それでいて積極的にたくさん食べる努力をすれば1kg程度は増やすことができるけれど、結局は少食なので長くは続かないし、増やした分はいつの間にか元通り。逆に短時間のスクワットくらいの些細な運動でも、その余分に増えた体重を落とすには十分らしく、平常時と食事量を変えなければ然るべきところに落ち着いてしまう。
根本的に、平均的な肉体を手に入れる才能がない。死にものぐるいの無理を身体に強要しなければ、いわゆる世代平均の体重に届くことはないだろう。
物心がついてから現在までに「痩せ」以外だったことがないため、現実的にはほぼ不可能と言っていいだろう。

 

「太れない」と言うと「食べてないだけだろ」と反論されるという、ありがちな話がある。
これは互いの中にある水準に乖離があるせいで会話が噛み合っていないだけなのだが、どうにも人間というのは絶対的な個人差を、体質の傾向を無視して統一された基準で論じたがるようだ。
かつて、私にもそのような会話をした覚えがある。
体重に関する問題を口に出した際には、何度も食べろと言われてきた。別に、拒食症というわけではない。食べる時には普通に食べることができるし、極端に胃が小さいというわけでもない。
余計なジャンクフードを食べないだけだ。甘い飲み物を飲まないだけだ。本当に必要な、その日に消費する分の栄養を摂取するだけだ。食に関心がない。ただ、それだけのことなのに。

翻って、食が人生の楽しみだとか、油断していると何か口に入れてしまっているとか、気づいたら数kg太っているとか、そういう人の生き方であったり意識であったり考え方であったり、食事に対する捉え方というのはまったく理解できる気がしない。
同じ人間という括りの中で生きているはずなのに、まるで別の生き物のようにさえ感じられるのだ。
いや、しかし現実には、社会には、その手の人間が溢れていて多数派なのだから、やはり外れているのは私という事実は変わらない。
それにしても、平均値に届く気がしないという意味では大して深刻度に違いはないだろうに、太っている人のケースばかりに焦点が当てられるのは、納得いかないところがある。
痩せすぎている私からすれば、多かれ少なかれ体質によるディスアドバンテージはあるにせよ、デブなんて自己管理ができないだけではないのか。
食事を我慢することの苦しさを知っている人は至るところに存在しているのに、頑張って食べなければならない体質の大変さを知っている人が、この世の中には少なすぎると思う。