K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

会話と雨と

今日は久々に知人と会う約束があった。
家族とは毎月のように会っている私だが、それ以外の他人となると非常にレアケースと言っていい。年に数回、いや一度か二度というレベルで、実際に今回は昨年の六月以来のことだった。
だから、普段の調子ならガッツリと書くような話題でもあるのだけれど……諸事情につき、極めて簡素な日記となってしまうことを先に示しておきたい。

 

あまり外に出ないものだから言われて初めて気づいたのだけれど、今週はずっと雨が降っていたようだ。
気圧の関係か知らないが、確かに微かな頭痛は断続的に感じていたし、好調には程遠い微妙な具合を連日、寝起きに実感している。
週始めの過酷な活動による疲れが取れていないのだろうと思っていたし、事実として完全復調には至っていないわけだが、それはそれとして気候がその妨げになっている可能性は大いにあるだろう。

今日も、決して元気ではなかった。待ち合わせの時刻に遅れないように生活リズムを捻じ曲げたこともあって、睡眠は不足している。
加えて、慣れない対人コミュニケーションが待っているということで心構えのようなものが無意識の領域で必要となり、普段以上にエネルギーを消耗してしまったのかもしれない。
いざ会ってみれば、会話に苦労する場面なんてなかったけれど、やはり別れてからの反動は少なからず発生した。
これは単純に、慣れない動きをした後の筋肉痛のように、私の体力の少なさと孤独な生活に原因を求めることができる。

思考力自体は、日頃からの文章作成の習慣が功を奏して衰えておらず、会話そのものは澱みなく進めることができた。
このところモチベーションに疑念を抱く日も増えてきたが、私が私としての最低限の能力を維持するためには、もはや必要不可欠な作業となっているのかもしれない。
発声能力は相当に落ちているから、長く喋っていると喉が壊れて上手く声を出せなくなるという問題は抱えつつも、意外なことに舌は回っていた。昔から滑舌には自信があったことを、ふと思い出す。

内容は他愛ないものだったので特筆することはないが、私に対する心配の姿勢は少しばかり気がかりに感じた。
要するに、あまり他人と接することなく、食事は不十分、運動も満足に実施できていない私の状況に、健康面や社会性の面で懸念を抱いているというものだ。
余計なお世話というやつなので、正直それを真っ向から受け止める意味があるのだろうかと思わないでもない。ただ、純粋に私の身を案じてくれているのなら、本来は感謝しなければならないのかもしれない。

 

いつからか、この調子の悪さが生活習慣によるものなのか、天候によるものなのか、あるいは自身の肉体に問題が生じているからなのか、区別ができなくなった。
複合していることもあるし、頻度が多すぎるから、いちいち対処しようとも思わなくなって、寝起き後のガチャのような感覚で運試しするものだと考えるようになっていたけれど、普通の健康的な人間からすると、これは異常事態なのだろうか。私は、判断材料を持たない。
いずれにせよ、意識したところで肉体が急に変化するわけではないから、現状を許容したまま惰性で生きていくか、一年後や二年後を見据えて肉体改造の努力に勤しむしかない。

せっかくの再会ではあったけれど、はたして互いが満足できる時間にできたのかどうか……どちらかと言えば、過去に会ってきた中でも下から数えたほうが早いくらいの、あまり面白くない一日にしてしまった感が強い。
主観的には上手く話せているようでいて、客観的には一切のキャッチボールが成立していなかった……そんな可能性を想像せずにはいられない。