K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

眠りと疲労と体質と

やや頭が疲れたような感覚があるから、ちょっとだけ仮眠しよう……そう思って布団に入ったところ、ガッツリと一晩分の睡眠を取ってしまう。
あるあるの話ではあるけれど、予定にない眠りというのは得てして他の作業進行などに悪い影響を及ぼすものだ。
わかりやすい典型例は、いわゆる「休日」を無駄にしてしまうもので、夏休みといった長期休暇ならともかく、ただでさえ一瞬で過ぎ去る土日にやってしまうと、まさに貴重な時間を奪われた気持ちになる。

 

私の場合は正直、平日も土日も大して関係がないのだけれど、とはいえ突発的な睡魔による予定外の時間損失は、決して看過できるものではない。
せめて熟睡できていれば、起きてからのモチベーション向上に繋がるからデメリットばかりではないのだが、ちゃんと眠るための心の準備が出来ていないイレギュラーな眠りからの目覚めというのは、たいてい機嫌が悪くなるものだ。
時間の割には、あまり疲れが取れた感じがしない。もっと言えば、二度寝さえしたくなるコンディションであることが珍しくない。
締め切りに追われて特定の作業を集中して進めなければならない、なんていう立場にいるわけではないから別に問題ないという見方ができないこともないけれど、限られた時間をどう使うかという点に日頃の意識を割きたい私としては、疲労回復効率の低さも相まって許しがたいところがある。

それにしても、私が非常に疲れやすい体質であるという事実について、あまり掘り下げて考えたことがなかった。
というのも、疲れやすさなんて主観的な要素であって他者と厳密に比較することは不可能であるがゆえに、場合によっては私が怠けているだけだという結論になりかねないからだ。
ただ、ここまで人生を歩んできた感想としては、明らかに私は絶対的な体力の値が低い。しばらく同じ行動をしているとわかりやすいのだが、私を除く周囲の人間は涼しい顔をしている。他者同士、弱みを見せないように強がっているだけという可能性もあるから、これは家族での話になるのだけれど、私が疲労感や全身の筋肉痛などを主張しても、なかなか理解が得られなかった。
この程度のことで疲労困憊してしまうなんて、まったく信じられない。そう言いたげだったのだ。

ほとんど外に出ない生活を送っているから、外出時の状態についてはアウェイ感があって、疲れやすいのも仕方ない。ただ、使う体力の源を一緒なのだから、その傾向は在宅時にも同様に表れる。
たとえば朝から夕方まで椅子に座って、目の前にある作業に没頭したとしよう。内容次第で、面白ければ集中力が長続きするし、退屈なら効率が悪くなるのは誰にでも当てはまることだと思うが、関心に依存する集中力という要素以外にも、作業継続に必要なのが絶対的な体力だと考えている。
普通の人間なら、適当に休憩しつつ取り組んでいけば、特に問題なく夜まで頑張れるのだろう。しかし、端的に言えば、私には無理なのだ。
体力が尽きるまで、具体的に何時間何分という表現はできない。ただ、仮に朝の8時から作業を始めたとしたら、午後に入って14時か15時を過ぎた頃にはもう、私の身体は限界を訴えてくる。
そうなってしまったら、あとはポンコツ状態のまま無駄に時を過ごすか、睡眠によって脳をリセットするしかない。

 

なんだか、随分と脱線してしまったような気がする。
冒頭の話に戻ると、要するに疲れやすい私が、非常に疲れている時に仮眠を試みると、うっかり起きられず何時間も無駄にしてしまう可能性が決して低くはないということなのだ。
重篤な病気に罹っているとか、身体的な欠損があるとかではないけれど、普通の健康体で社会生活をこなす有象無象の人間と比べたら、幾分か生きづらい肉体だと思う。

自らの欠点を自覚していて、なお改善に向かおうとしないというのは、はたして怠惰だろうか。
おそらく原因の一端は、低体重……つまり痩せすぎであるという、私を語る上で無視できない本質的な部分にある。
親の話によると、幼少期は周囲の子供と比べて、ほとんど量を食べなかったらしい。物心がついてからも、何かこう食欲に支配されるような「食べ盛り」があった記憶はなく、過去の健康診断で測定した身長と体重のバランスは、かつて一度も標準に届いたことはなかった。
確かに、ここ数年は露骨に体重が減少し、痩せに拍車がかかっている状況ではあるのだけれど、痩せていること自体は今だけの異常事態ではないのだ。昔からの、ほとんど生まれつきの性質と言ってもいいだろう。

そんな私が食事に前向きになったとして、まず継続できるかどうかという課題があるし、期待している効果が出るのかも定かではない。たくさん食べたところで、胃腸が弱いから一定量以上は吸収できないのだ。
また、定期的な運動や筋トレによって、肉体のレベルを向上させていくという考えは一般的だと思うが、スタート地点が貧弱すぎて、そもそも普通のトレーニングでは挫折してしまうことだろう。
金を稼ぐ話と似ていて、結局は基礎体力のある人間がより一層、強固な身体を手に入れやすいようになっているわけだ。
そういう意味では、私の身体は無一文に等しいかもしれない。増やすための元手がない。

深く考えていくと、あまりにも活発に生きるのには不向きな身体としか思えないので、電池が切れたように動けなくなる突発的な時間の浪費は、許しがたいなんて生意気なことを言うよりも、私が死ぬまで付き合う必要のある性質なのだと素直に受け入れるべき……なのだろうか。
そういうものだと諦めるのと、普通になろうと抗うのと……いったい、どちらが正解なのか、それを断ずるには私の人生経験がまだ少なすぎる。