K's Graffiti

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食事対策

どうしたら腹が空くようになるのか、空腹感がそのまま食欲に繋がるようになるのか、真剣に考えてみることにした。
前々から書いているように、私は食事という行為が単なる生命維持のための栄養補給としか捉えられず、食べること自体にポジティブなイメージを抱いていない。もし、サプリメント一粒で完璧に栄養を賄えるのであれば、それに頼りたいと思っているくらいだ。

 

困ったことに、意思に反して人体は食事によって成り立っている。ちゃんと食べなければ元気が出ないし、バランスが悪ければ病気にもなる。なんと面倒なことだろう。
まぁ食事に関する問題は、何かしらの栄養素が過剰であるとか、あるいは全体的に過食であるといった傾向が取り上げられることが多く、要するに普通の人間は食欲に支配されることが多いわけだから、私の主張が根本的に理解できないに違いない。
気がついたら食べ損ねていた、いつの間にか体重が減っていた、なんていう悩みは一部の少数派だけが経験し、直面する問題なのだ。

たとえば、今日の私は寝起きに一食、それから7時間程度の経過後に一食、合計で1,000kcal前後のエネルギー摂取のみで食事を終了している。
これには、いくつか改善点があるわけなのだけれど、まず明らかに摂取量が基礎代謝を下回ってしまっていて、このままでは痩せ細っていく一方だろう。
普通なら胃が満足するまで食べる量を増やすのかもしれないが、そもそも私は食欲という性質が欠損してしまっている異常者なので、自然な形で必要量を満たすことが容易ではない。
ある程度、用意した品を腹に収めて「食べた」と思った時点で、もう次の食べ物を探すモチベーションはゼロになる。
たまたま今日は、その「食べた」を早い段階で感じたというだけで、毎日こんなに少ないわけではないのだが……それにしても客観的に考えたら、どうやっても足りていない。

前提の話になるが、食欲のない私がどうして絶食には至らないかというと、一食目は日課として消化し、二食目は脳の要請に応じているから、かろうじて実現している。
一日のうち、最も元気があり、活動的になれるタイミングというのは、起きてからしばらく時間が経った頃だ。すなわち、朝食ということになる。
いずれにせよエネルギーを取り込まなければ一日が始まらないし、ちょうどいい。寝起き直後だけは一切の食欲がなくても、流れるように自然な形で食事を達成できる。
一方で、二食目は少しだけ難易度が高い。何しろ、寝起きのように明確なトリガーがないから、動機を作るのも一苦労なのだ。そこで、私が利用しているのは脳のパフォーマンスが低下しているという「感覚」になる。
寝起きに充填したエネルギーが空になり、頭の働きが悪くなってくると、何かを食べなければ……という風に思えるようになる。別に腹が減っているわけではないから、場合によってはそのまま眠ってしまうこともあるわけだけれど、基本的には一日の後半にパフォーマンスを発揮するための燃料補給という位置付けだ。

直近の数年間、特にこの一年半ほどは以上のような形で生きてきているわけだけれど、これが「普通」になると、逆に一般的な食事の感覚が理解できなくなってしまう。
もはや、一日三食なんて考えられない。平均的な成人が想定するであろう食事量が、私のイメージする一食の量を遥かに超えてしまっている。
真似をしようとしても、そういう風には生きていないのだから無理だ。それでも、おそらく私の現状を伝えれば、ほぼ十中八九、もっと食べろと言ってくるのだから、まるで話が合わなくて困ってしまう。
どうやったら、食事を生活における中心的な出来事に昇華させることができるのだろうか。

 

昔のことを思い出してみる。
幼少期から少食気味で、痩せ型で、まったく食い意地のない人間だった私ではあるけれど、曲がりなりにも三食が当たり前の習慣だった頃はあるのだ。
体重も今よりはマシといったレベルで、一応は朝から夕方まで外で活動できるくらいには体力があった。
きっと数値化すれば、それでも一般的な水準からしたら病的なまでに低かったに違いないのだけれど、まだギリギリ健常者のラインに乗っかっていたように思う。

いつから、こうなってしまったのか。
原因は、まず外に出なくなったことだろう。毎日、外に出て活動することがなくなった。当然、そのために必要なエネルギーは省くことができる。
椅子に座っているだけの日々に、たくさんの食事は必要ない。これが、一日二食で十分になってしまった大きな理由の一つに違いない。
おそらく、改善するには外に出るようになるしかないのだが、用事もないのに外出することのハードルは相当なもので、根っからの出不精にとっては文字通り引っ張り出されるような形でないと無理かもしれない。

食欲が壊れてしまった原因は今のところ不明なのだけれど、これは精神的な疾患か何かなのだろうか。
消化器に異常があるタイプの不具合とは思えず、考え方の問題のような気がするのだが、突き詰めていくと生まれつきの性格のような気がしてしまって、これまた改善は難しい。
実家にいた頃は時間になれば食事が用意されていたから、わりと食事そのものが身近にあった。しかし、今は自分で用意しなければ、自然と食べないという選択肢が浮上してしまう。
そうした状況が、食べることに消極的な本来の私を活性化させてしまっているのではないか……だからこそ食欲という生命における重要な特性が、オフになってしまっている。
これをオンに切り替えるためには、やはり他者の存在が不可欠のように思える。自分だけの空間で、あらゆる行動を決定できる環境下にいる限り、決して食欲が活性化することはない。なんとなく、そんな気がしてしまった。

結局のところ、食事に対する向き合い方が好転しそうなクリティカルなアイデアは、まったく浮かばなかった。
できることと言えば、摂取エネルギーの具体的な管理を日課に加えて、なるべく基礎代謝を下回らないようにすることくらいだろう。
胃腸を壊さない程度に、気持ち多めに食べる意識で明日から健常を目指していきたい。