K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

アニメ視聴と記憶の熟成

このところ連日、不眠症に起因する重度の体調不良のせいで長々と文章を書く気力が湧いていなかったけれど、流石に放置しすぎると日記に取り組むハードルが上がってしまうような気がしてならないから、このあたりで溜まった思考エネルギーを解放しておこうと思う。
なお、体調に関しては相変わらず悪いままだし、今夜も眠れるか定かではなく不安が強い。しかし睡眠薬など持っていないし医者にかかるほどでもないから、とにかく早く復調することを祈るしかない。
今年も半分が終わりということで、そろそろ本当にどうにかしなければならない。

 

上手く眠れていない日々であっても、頭の中がすっきりしない毎日が続いていても、起きている間は当然ベッドから離れているし、何か特定の事柄に時間や集中力を使うことになる。
具合が悪い分だけ、何をするにしてもパフォーマンスが低くて余計なストレスを感じやすいという問題はあるが、冴えない頭でも眠気の波は結構あって、交感神経が優位のタイミングではどうしても手持ち無沙汰になりがちだ。
コンディションが最悪すぎて生産性が必要な作業には不向きだが、何もしないというのも時間を捨てているようで気分が悪い……そんな状況に誂え向きな趣味が、アニメを見ることだった。
アニメ視聴に対するモチベーション低下の悩みは昨年から何度か書いているのだけれど、根本的な原因はともかくとして、その悩みの中心にあるのは、新作を見始めるために膨大なエネルギーが要求されることだった。
アニメオタクになって間もない学生時代には無限の活力によって支えられていたアニメへの情熱は、年齢を重ねたり数々の作品を知ったりすることによって、徐々に失われていく。
時代性もある。自分の好みと、令和風味の作品が合わなくなってきた。あるいは既に何度も見たことのある味で、新鮮味がない。新しい作品に手を出すことで得られるものと、視聴のために費やす時間や体力を天秤にかけて、つい後者を優先するようになってしまったのだ。
私にとって「見なくてもいい」作品が増えているのは事実だし、よほど話題性があって品質が保証されているアニメでもない限り、新作を見ることには何も得られず疲れるだけという大きなリスクさえ存在している。
しかしながら、過去作であれば話は変わってくる。往年の名作……別にアニメ史に残るレベルである必要はないのだが、私が以前に視聴済みで、かつ面白かったという感想を抱いているもの。そういう作品ならば、あらためて今から見ても、失敗する確率は極めて低い。
できれば、時間の経過によって細部を忘却しているくらいのアニメだと、より楽しみは増すと思う。

現在ちょうど「青ブタ」の新作映画が公開されている。テレビ放送は2018年で、その後の映画が2019年、つまり約4年ぶりの新作となるわけだけれど、どうやら評判は上々のようだ。
自分の頭の中には、テレビシリーズはそこそこ面白かったし、映画は非常に素晴らしかったという印象が強く残っていて、近いうちに劇場へ足を運ぶつもりではあった。
ただ、やはり4,5年も経っていると細かい部分は忘れてしまっている。登場人物たちとその関係性くらいは覚えているものの、話数ごとの具体的なエピソードや、あるいは全体の大まかな流れでさえ徐々に薄れていくものだ。
だから、ちょうどよかった。体調が悪すぎて浮いた時間の使い道として、そして新作を見る前の復習として、今週は少しずつ「青ブタ」のアニメを消化していた。
これを書いている現時点で、テレビシリーズ分の再視聴は完了し、あとは劇場版を残すのみとなっている。土日のうちには映画も見終えて、来週のどこかで新作に臨む予定だ。
願わくば、来週までに体調が元に戻っていてほしい。

ざっくりとした感想としては、やはり良いアニメだった。桜島麻衣先輩が最強ヒロインすぎることを再認識したし、ここ数年で自分の好みが変化したのか知らないが、初見視聴時よりも麻衣先輩絡みの箇所では幸せになれたような気がする。
ただ、テレビシリーズの範囲では物語として評価するには不十分で、初めから劇場版が前提となっていることがよくわかった。当時も似たような感覚を抱いたのかどうか、そこは記憶が曖昧になってしまっているけれど、確かにはっきりしているのは上にも書いたように、テレビ放送分はそこそこで、映画が本当に最高だったという強烈な印象なのだ。
明日か明後日に再視聴する傑作も楽しみだし、来週に予定している新作も俄然、楽しみになった。

 

繰り返しになってしまうが、実のところアニメというのは、複数回の視聴によって魅力が増大するのではないかと考えるようになった。
もちろん最初は何も知らない状態からなので、どうやっても余分にエネルギーを使わなければ未知の作品世界に入っていくことはできないわけだけれど、ある程度の視聴経験を積み重ねていくと、わざわざ面白いかどうかわからない新作に時間を使うよりも、自分の感性に合っていることが確かな過去の名作を再び見ていくほうが、ずっと有意義な時間を過ごせるのではないかと思ってしまう。
初見では気づかなかった描写を今の視点・価値観で味わえるだけでなく、むしろ以前よりも深く見入って、さらに大きな感動を得られることもある。
まぁ時には思い出補正が働いて「こんなものだったか」と拍子抜けすることもないわけではないけれど……今のところは、再視聴の試みの大部分は成功と言っていいくらいに満足度が高い。
また、空白期間も重要な要素と言える。前回の視聴から日が経っていないうちに見るのも作品への理解を深めるという意味では悪くないけれど、面白さの絶対値を高めるためには「忘れる」ことも大事なのだ。それも、中途半端に忘れているくらいが適切に思える。
たとえば10年以上も前の作品だと、大部分を忘れてしまっていて初見と大差ないというのもあるが、かつてそれを楽しんでいた自分と今の自分とのギャップに苦しむ可能性もあるわけだ。昔の私は、どうやってこれに満足していたのだろうと悩む羽目になる。作画や演出面における技術的な差で、本質とは関係ないクオリティの部分に不満を覚えてしまう恐れもある。
その点、5年前くらいまでの範囲なら自身の価値観にせよアニメの質にせよ、評価に致命的な影響を与えるほど変化があるとも思えず、ぼんやりと大筋を把握しているため視野が広くなり、過去の私が見逃していた魅力を知ることさえ可能となるだろう。
ゆえに、真にアニメを味わい尽くすには記憶の熟成が求められるのではないか……そんな風に、最近の私は考えている。

今回は「青ブタ」を例に挙げたけれど、2019年には同時期にもうひとつ素晴らしい映画が公開されていた。
そして今夏、似たように新作映画が出るだけではなく、来年にはテレビシリーズの3期も控えている。
先月の半ばくらいに振り返り視聴を実施した「ユーフォ」もまた、記憶の熟成によって自分の中の評価がより一層、特別なものに変わった作品だ。楽しみで仕方ない。