K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

生存記録(20231206)

知っていたことだが、やはり管理会社なんてものは信用ならない。管理している立場を形式的に取っているだけであって、中身は無能の集団でしかなく、まともな仕事なんて一切していないのだ。ただマニュアルに従って、頭を働かせることもなく退屈な作業に従事する連中に、いったい私は何を期待していたのだろう。いや、期待など最初からしていなかった。他に手段がないから仕方なく頼っただけであって、こちらの要求通りに事が運ばずとも、それは想定外の展開とはならない。
久々の隣人の件について、先月の下旬あたりに少しばかり経緯を書いた覚えがあるけれど、早急に対応をお願いした結果、それから二週間弱が経過した現在においても状況に変化は起きていない。過去にも管理会社の怠慢に迷惑を被ったことがあるため、念のため隣の者と連絡がついたら必ず報告するよう約束までさせたというのに……ここまで音沙汰がないのだ。かなり強めの言葉で要求を投げかけたはずなのだが、いい加減な仕事をしていても簡単にバレるというのに、一向にやる気を出さないことが不思議でならない。
先月末に訴えるまでの流れを逐一この場に書いてきたわけではないけれど、実は管理会社に連絡した時点で既に数週間の騒音に耐えてきた状態だった。これ以上はもうストレスでどうにかなってしまいそうだと、そんな風に限界を感じたからこそのSOSだったのに……これ以上どうしたらいいのか、わからない。精神を擦り減らし、まだ我慢しなければならないのだろうか。
相変わらず隣人は精神年齢が小中学生と同等レベルで、日常的な行動の端々から頭の悪さ透けて見える。自分が周囲からどのように見られるのか、まったく考えていないと思われる日頃の振る舞い、それは想像力の著しい欠如がもたらす弊害と言えるだろう。この手の身体だけ大きくなった問題児は昔から一定数どこかしらに棲息しているものだとは思うが、とりわけ現代は自ら思考せずとも平気で生きていける社会になってしまっているから、淘汰されづらいのではないだろうか。
10代後半から20代前半あたりの、ちょうど親離れするかどうかという年齢の若者は、それまでの人生で培った人間力が問われるようになる。別に、普通に常識を携えて生きていれば、なんでもいいのだ。一方、隣人のように人間として下振れると、他人に迷惑をかけないという社会生活の大前提すら頭にない愚昧な輩が生まれてしまうから、本当に恐ろしい限りだ。気持ちとしては殴り込みにいきたいくらいだが、その頭の悪さに得体の知れない不気味さを感じてしまって顔を合わせるのも怖い。きっと、まともに会話が成立しないだろう。こんな怪物と隣になるなんて、つくづく運に恵まれなかった。