K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

生存記録(20240115)

寒すぎて動きが緩慢になる私の身体とは対照的に、時間の流れは随分と速く進んでいるように感じられる。滅多に外出せず同じ部屋の同じ景色で過ごしている日が多いこともあって、その特定の一日に記憶の中で印象を与えることができないのだ。昨日も書いたように、寝ている時間が半分近くを占めているのも大いに影響していることだろう。
こういう書き方をすると現状をネガティブに捉えているように感じないこともないけれど、実のところ苦手な冬に長く留まる意味もないため、さっさと通過して春になってしまったほうが好ましいかもしれない。たとえ、本来なら有意義に使える可能性のある貴重な日々の時間だとしても、望んでいるパフォーマンスを発揮できない環境下では価値を見出すことは難しい。こんな虚無に等しい毎日なら、いっそのこと一切の認識さえないうちに終わってしまったほうがマシとさえ考えられる。まぁ私は熊のような性質を持たないため、願ったところで冬眠できるわけではないというのが本当に虚しいところではあるが。
ただ、気持ちの面では完全に開き直りつつあるので、無駄に時間を浪費していたとしても現状において後悔することはない。あるいは、スピード感が求められる明確な目標が急に定まりでもしない限りは、マイペースで生きることしかできないとも言える。無為に土日を過ごしてしまって、やりたかったことを何もできず悔いることになる学生や社会人の姿は想像に難くないけれど、ひとたび時間の使い方に対する感覚が捻れて歪んで壊れてしまえば、余計なストレスを感じることもなくなる。それが良いか悪いかは別として、少なくとも心に余裕を持てるスタンスを私は嫌いになれないのだ。
ともあれ、この方針が通用するのも体力が極限まで落ち込んでしまっているからであり、少しずつ肉体が元の状態に近づいていけば、きっと焦りが生じるはずだ。毎日ちゃんと動けるだけのエネルギーが全身に満ちるようになった時、自ずと身体は動き始めるだろう。それまでは、ひたすら地味な運動と印象に残らない日々を繰り返して、待つことしかできない。このように日課として何かしらの記録は残している分だけ、完全に虚ろと化しているわけではないことが唯一の救いと考えることもできそうだ。