K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

声の覚えやすさ

この土日、先週とあまり変わらず、無駄な夜更かしと昼寝で大半の時間が潰れてしまった気がする。今日なんか、溜まったアニメを見ていたら終わっていた。

寝起きの時間が不規則だと、起きていても頭がぼんやりしてしまうので、夜型にするなら夜型でいきたいのだけれど……仕事とかいう目の上のたんこぶ。

 

ここまで日記を続けてきて、その更新に割ける時間とエネルギーがだいたいわかってきた。
文章は適当に量産できるし、書き溜めもあって数日分の予約投稿が可能なんだけれど、絵に関しては結構気力を使うしライブ感覚なので(溜めていない)、たまにお休みすることになる。
一週間のうち5/7を目標にすればいい具合だろうと思った。ブログを始める前に描いてた過去絵を上げる日にするっていう案もある。
本心では、描けないと気持ち悪くなるから7/7がいいんだけど、まあ人間なので何もできない日が出てくるのは仕方ないかな。

 

 

声優についての日記で書いた「声の芯」という考え方だが、これは別に声優に限らず、発声の訓練をしているわけではない普通の人にも当てはまる。
声が覚えやすい人とそうでない人というのは確実にいて、いい意味でも悪い意味でも声質の特徴っていうのは一生モノだから、生きていくうえでは無視できない要素だなと考えている。
とはいえ人間は自分の声に自覚的ではないもの……最も近くで一生聞こえているはずなのに、実際に他者に聞こえている声を生で耳にすることはできない。大半の人は録音したそれを聞いて、うわっキモッと思うんじゃないだろうか。

誰が聞いてもかっこいい声、かわいい声というのはまさに才能みたいなもので憧れるけれど、それとは別に声質には個性の強さというステータスがあるように思う。それが強いほど覚えやすくて、弱いと印象に残りづらい。
耳に心地よい素敵な声なら前者でもいいのだけれど、私は後者にも好感を持っている。声って、外見の次にイメージを与えるものだから。フワフワしていたほうが、どこでも柔軟に入っていける気がして、むしろそっちのほうが羨ましい。
なかなか声が覚えられない声優の、声の芯を捉えたときは、なんだか無性に嬉しくなった。その変幻自在な声帯が、ようやく脳内に出来上がったのだと。

 

ふと、親の声って案外思い出しにくいな、と思った。知人や声優の声は、わりとすぐに出てくるのに。
なんだろうな、聞きすぎて逆にわからなくなっているのか。音のゲシュタルト崩壊、的な?
もしくは、生まれたときから聞いていて自覚的に覚えるという段階を踏んでいないから、実は脳内の引き出しに入っていないのかもしれない。
いざ会えなくなったときに思い出せないとしたら、なんだか寂しいな。