K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

真の不適合者はネット上でも

某配信者(以下、K)の某配信に集まるアレコレを眺めていて感じたのは、「理解できない」という感情だった。
私は昔からそうなのだ。あの手の雰囲気を好まない。馴染めない。入り込めない。
見渡せば盛り上がる人々ばかりで、場違いにも冷静で冷淡な空気を纏った私が自然と浮いてしまうのを、否が応でも自覚せざるを得なくなる。
ああ、なんともつまらない。

 

個人の催しとしては流石に規模が大きすぎるから、具体的な名前を出してネガティブな内容を長々と書くつもりはない。ただ、それにしても何が面白いのかまったくわからなかった。
もちろん、面白くないのであれば、わざわざ見る必要はないのだ。スルーしておけばいい話であって、もっと好きなことについて書いたほうが有意義に違いない。
しかし、日頃から好意的に見ている某配信者が同時視聴の配信上において、Kのことを非常に熱心な気持ちで祝福していて感極まっているのを見てしまったから、私は不本意にも複雑な心境にさせられてしまったのだった。

一般的な価値観に照らし合わせれば、めでたい出来事であるのは確かなのだろう。そもそも、私がこうした営みに対してポジティブな感情を抱いていないからこそ、理解を難しくしている側面はあると思っている。
ただ、それはそれとして、会場で展開されている企画やメッセージ映像などを、配信を通じて見ながら本気で楽しむことができる人間は、真っ当な感性を持っていて恵まれているに違いないと思った。
だって、私は何も感じなかったのだから。

ちなみに、Kのことは随分と前から知っているし、知っているというだけではなく、配信を見たことだって何度もある。
まったく知らない人間が盛り上がっているのを冷めた目で見つめているわけではなく、知っている人間の新たなステージを、私が捻くれすぎて素直に捉えられないというだけなのだ。
一昔前、旧配信プラットフォーム(某N)では、一時期かなりハマったくらいには楽しみな存在でもあったし、少なからず影響は受けているような気さえする。
別に、誰が悪いという話ではない。どうして、こんな風にしか受け止められなくなったのだろう。

 

話は変わるが、私は基本的にコンテンツ部分、コンテンツそのものにしか興味がない。
わかりやすく噛み砕くと、たとえば声優に対する関心は声に向けてであり、価値を見出すのは声質や歌や演技ということになる。そのため声優自身の性格やプライベートは、極端に言うとなんでもいいのだ。
個別に見ていけば例外はあるかもしれないが、スタンスとしては特定の枠組みから発信されるコンテンツしか必要としていない。

配信者に対しても同様の感覚であるため、つまり私が配信を見ている瞬間以外における配信者の事情は、私の人生に不要という言い方ができてしまう。
その性格が煮詰まった結果、Kにまつわる今回の流れが腑に落ちなかったのではないかと思った。

大量に飛び交う投げ銭を視界に捉えて、また変な気分になる。個人的な関わりのない人間たちが、大して読まれもしないであろうメッセージを添えて少なくない金額を送る風習には、いまだに慣れない。
もう少し小規模なコミュニティにおいて、相互コミュニケーションのために送金システムを利用するのであれば理解できるのだが……そうではない彼らは、いったい何を考えているのだろう。

私が時代への適応に遅れた結果、答えの出ない疑問が頭の中を延々と巡り続ける。
まぁ長い目で見れば、余計な金を落とす機会を減らせているという点で、悪いことではないのかもしれないけれど。