K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

貯金できないやつwww

タイトルが煽りみたいになっていて申し訳ない気持ちで一杯なのだが、世の中あまりにもその日暮らしの人間が多いようで驚いてしまったので、つい。
生活環境なんていう個人差が大きすぎるものに対して、ごちゃごちゃと語っても的外れになる確率のほうが高いから、非常に限定的かつ意味のない話である。
これは、生活基盤が安定しているにもかかわらず貯金できない人ってどうなのっていう、ただの疑問だ。

 


出費が多い人ってすごいと思うんだよ。それだけ稼いでいて、経済を回しているってことでもあるしね。ただ、稼ぐ力があるなら貯めることだってできるはずなのに……貯まらないのはなぜなのか。

もちろん前提として、お金とは使うものであって、貯めるばかりでは役割を果たせないという考えがある。そんなことはわかっている。いくら私でも、ただの紙切れだとは思っていない。使うときには使う。
でも、何か新しい挑戦とか大きな行動なんかを起こそうと思ったら、それなりの資金が必要になるわけで、それを日頃から使い果たしてしまっていたら、何も叶えることができないではないか。スタート地点に立つのも難しい。

そんな突飛な行動なんて起こすつもりはない? 人生、何があるかわからないのに?
いやいや、どう考えても、使いたいときに自由に使えるお金がないなんて、窮屈でしょう?

常に収支の計算をして、今月使えるのはこれだけだ~とか、予算がないから給料日まで我慢しなきゃ~なんて、私にはちょっと考えられないのだ。
やっぱりお金って重要なんだよ。紙切れにしておいたって仕方ないかもしれないけれど、その有無によって心の持ちようは大きく異なる。あればあるほど余裕が生まれるから、あって悪いことはないじゃないか。

あれが買いたい! あそこに行きたい!
生きていたら、急に何かしたくなることってあるものだ。残念ながら、何をするにしても、お金はかかる。子供の思いつきだったら実現不可能でも、収入がある社会人ならできるはずなんだ。ふとした思いつきでポンと数十万くらい出せるほうが、絶対にいいじゃないか。
だから、一定以上の貯蓄は作っておくべきなんじゃないのかなぁ~なんて思うわけで。別に定年後とかいう遠い(そして無意味のない、くだらない)話ではなくて、若いうちから、あらゆる可能性を広げるために。


よくあるアンケート結果なんかで出費の内訳を見たらわかるが、生活費を除いたら、たいてい趣味や服飾、雑貨、交際費なんかがメインになっている。
これを見て、いつも私は頭をひねるのだ。

え、服って毎月買うの? 人と会うだけで何万もかかる? それ節約してたら貯まっていかない?

これって、おかしな疑問だろうか。そんなに非常識かしら。
動かざる陰キャすぎて、そのあたりの感覚が一般的なものと乖離しているのはわかっている。
私は非アクティブかつ趣味もコスパがいいものばかりなので、日常的な出費がとても少ないのだ。真似しろと言っても、大半の人間には我慢ならないのかもしれない。

でも適当に働きながら、適当に貯金しているだけで、お金なんて自然に貯まっていくと思うのだ。だって、毎月使いきらなければならないノルマなんて本来存在しないのだから。
生活と趣味に必要な分以外は、一度全部貯金に回してみればいい。消費がルーティン化しているのなら、そんな習慣いったん捨ててしまおう。半年も続ければ、目に見えて貯まっていく。ああ、もちろん、最初にも書いたけれど、これは生活基盤が安定しているという前提の話だ。
特に今は、例のアレの影響で消費機会が極端に減少しているだろうから、比較的貯めやすい時期なのではないか。収入も減ったからトントンとか、むしろマイナスという人は強く生きてほしい。私には知ったこっちゃないけど。


趣味にお金がかかるんですよぅ~なんて、まあオタクには珍しくもないだろう。
たとえば、好きなことにお金を費やしているだけで毎月10万くらい持っていかれて貯金ができないというのなら、別にいいんじゃないのかな。
だって趣味なんでしょう。趣味にお金が使えて幸せじゃあないですか。でも、それって本当に必要な出費なんですかね。満足してますか? 後悔していませんか?

その時々が楽しければいい。それも事実だ。
後のことなんか知るもんか。間違ってはいないだろう。むしろ幸せそうだ。
結局のところ、本人が幸福なら他人が口を挟む余地はない。他人の趣味に口出しするのは本当に不毛だってことくらい、知っている。
ただ私は、どうしても思ってしまうのだ。彼らを観察していると、あれは幸せを掴むためではなくて、惰性でお金を減らしているだけなのではないかと。趣味だと思っているものに対価を払うことでしか、生きがいを見出せなくなっているのではないかと。
初めはもちろん、そうではなかったのだろう。しかし物事というのは、続けていると次第に感覚が変わっていくものだ。かつての喜びを追求する気持ちは痛いほどわかる。あれはよかったよな。楽しかったよ。心が、身体が覚えているんだ。
でも、実は理解しているんじゃないか。もう取り戻すことができないということも。


変化を受け容れるための用意をしておくことが重要だ。
楽しかったものは徐々に風化していき、やがて一方的に我が身から搾取していく装置になりかねない。気づいたときには手遅れかもしれない。それでも、運よく気づくことができたのなら、変えることはできる。生きる方針の転換は、いつか実践しなければならない。
そのためには……行動力を発揮するためには、何が必要だ。もはや自明だろう。
まあ他にも時間とか体力とかあるけれど、とりあえず置いておく。

私は気になって仕方ないのだ。将来に対して希望が持ちづらい、この朽ちかけている世の中において、ささやかな愉悦のために消費を繰り返し、その享楽的な猛毒に少しずつ蝕まれていく人間の未来が、その成れ果てがどうなっているのか。

もはや誰に向けて書いているのかわからなくなってきたけれど、きっと私だって例外ではない。未来の、あり得るかもしれない自分に向けて。
たかだか数百万の貯金で何ができる。その程度で、人生をかけた戦いに勝てるのか。自信はあるが不安も大きく、所詮最後は運なのだ。
誰か五千兆円くれ。

 

 

本日の絵

20200605

プリコネアニメに出てきたコッコロママがかわいかったので。
水着は描きやすくていいね。