K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

出費

環境の変化に伴って、新しく買わなければならない物がたくさんあった。
他の人の意見も適当に聞きつつ、自分で調べたりもして、どれくらいの予算が必要かということは概算ではあるが事前に数字として把握していた。
その額、およそ30万円。会社の賃金で言えば、残業がゼロに近かった私にとっては手取りの二か月弱に相当するので、安い買い物ではない。
これまでずっと、性格的に無駄な支出を抑える生活をしてきたから、20万円を超えるクレジット請求なんて初めてのことだった。

 

というのが先月末の話で、これは想定していた出費であるから別に何も問題はなかった。ここから先は、それほど大きな買い物はないだろうと。
まぁ実際には洗濯機の購入というイベントがあったために、今月末も同じくらい金が出ていってしまうのだけれど、これは単に考えが甘かっただけのことだ。洗濯なんてコインランドリーを使えばいいという目論見は、私自身の怠慢さを前提にできていなかった。
好きなこと以外においては極力、楽をしたいという基本方針が意識の根底に横たわっているのはわかりきっているのだから、洗濯という日常の営みに対してもそれが適用されるのは、よくよく考えれば明白なことだった。

しかし、その程度なら大きな問題ではない。何しろ二年は過ごせるだけの財源は確保しているのだから。たかだか家電一つで計画が崩壊するようなら、動くには早すぎたということになる。それくらいの判断はできているつもりだ。
ついでに欲しかったモニターを購入。これも安くはないけれど、生活基盤を揺るがすような痛手には程遠い。
これだけならば、まだ想定の範疇と言えるレベルだった。

では、今になって何が懸念材料として浮上してきたのか。
具体的にこれ、というものではないのだけれど、生活していくにあたって不便を解消するためのあれこれ、とでも言えばいいだろうか。実際に初めてみなければわからない、というのは何事においても付きまとう事象なので、特別なことではない。だからこそ、前もって余分に想定しておくべきだった。
そのタイミングにならないと必要だということがわからない物品というのは意外に多いもので、この一週間ほど毎日のように不足を補うためにAmazonで注文している。配達の人に、いい加減まとめて注文しろと思われかねない。まぁ注文後に新たに必要になった物ばかりだから、無理なのだが。

まだ大丈夫だ。これくらいなら、まだ致命傷にはならない。およそ余計なものを完全に省き最低限の生活を心がけたとして、ひと月にかかる費用を24倍する。いや、もう二か月は過ぎる頃だから22倍でいい。合計額に対して、危機感を覚えるようだとマズいのだが、現時点では特段の心配はない。
残った額を22で割る。それが自由に使える「余裕」ということになる。不足を埋めるための注文が今後もしばらく続くとして、そのイレギュラーな出費がひと月あたりの「余裕」を超えないのであれば、大丈夫なのだ。
……本当だろうか?
現実的に考えるなら、来年や再来年に請求される社会保険料などを考慮する必要があるため、「余裕」はもっと小さくなる。これも概算によれば、生活を脅かすほどではないはずだが……所得の変動具合によっては自信がなくなるかもしれない。たぶん、おそらく、大丈夫だと思っている。

突発的に大きな支出が生まれることを、今は想定していない。たとえば知人に誘われて旅行に、なんてことがあるかもしれないけれど、それが現実味を帯びていたのは昨年までの話だ。
今年、それから来年。もしかしたらその先もずっと……とにかく毎年のように企画されていた、大学のサークル同期による旅行イベントは、当面の間は考えないようにしておいていいだろう。このリスクがある状況で、いったい誰が声を上げるのか。きっと企画されたら参加者はそれなりにいるだろうけれど、みんな社会人ということもあって責任は重い。
まぁそういうわけで、仮にあるとしても一泊二日で近場、みたいな小規模にとどまるだろう。

旅行以外で金を使う場面なんて、私にとってはほとんどないものだ。少人数での飲み会とか、あるいはその後の麻雀とか、支出がかさむ要素はそこら中に転がっているとはいえ、いずれも数万円程度に過ぎない。
私はSwitchを持っていないしPS5を買う予定もなく、ソシャゲでガチャを回す人間でもない。趣味に関してはPC周りの電気代くらいしか必要ないので、非常にコスパがいい生活をしている。たまにSteamでゲームを買うことがあるかもしれないけれど、それだって数千円程度の話で……要するにこれまで通り普通にしていれば、何も心配する必要などないのではないか、という結論になる。
この日記は、だからまるで意味のない話をしているだけなのかもしれない。
こうやって書くことで、形のない不安に色を与えるのだ。状況を言語化することで客観的に捉える。問題はないと、ひとまず安堵に至る。
やはり思考整理として、日記の役割は非常に大きいのだと実感する。