K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

心臓

夜中の話だ。寝る前、いつものように自らを慰めていたら、急に胸が苦しくなった。
以前にも胸の違和感について書いたけれど、これはいよいよマズいのではないか。そう思えてしまうくらい、おかしな動悸だった。
特に興奮していたわけでもないのに、無理やりエネルギーを費やしたのが負担になったのかもしれない。習慣だからといって、低クオリティな行為を続けるのは面白くない。そんなこと、わかっているのに。

 

 

朝、普段と変わらずに目が覚めて、無事に命があることに安堵した。けれど、場所が場所だけに、いつ生命の危機に瀕してもおかしくないのではないか。そんな不安を覚えずにはいられない。

起きてからしばらくすると、特に激しく動いたわけではないのに、再び心拍の乱れを感じた。
流石に思い悩む。病院に行くべきだろうか。今のところは痛みはないし、軽く不整脈らしき症状が出ているだけで、それ以外に健康上の問題はないはずだ。
たとえば、極度に痩せているとか、運動不足が続いているとか、不健康を示す要因がないわけではない。気づかぬうちに身体が壊れかけている可能性だってある。
ただ、現在の生活習慣に原因があるとするなら、同じように引きこもりを続けていた数年前にも発症していたって、おかしくない。あのときは徹夜を繰り返していたから、生活リズムという点から考えるなら、むしろ当時のほうが身体へのダメージは大きかったくらいだ。
そう思ったけれど、途端に自信がなくなる。仮に違いがあるとすれば、その数年分だけ年齢を重ねているということ。数年あれば、身体だって変質する。細胞は数か月の間に何度も入れ替わっているのだ。
でもそれって、交通事故に遭うリスクと何が違うのだろう。可能性を挙げていったらキリがない。いつだって、生命は死と隣り合わせに存在しているものだ。

やはり思い直す。私はまだ若い。持病はなく、基本的には健康体で生きてきたのだから、あと10年くらいは適当に生活していても気丈でいられそうなものだ。
だいたい、うちの家系は長生きなのだ。ほとんどが平均寿命を上回っていて、親族で若いうちに亡くなったという話は聞いたことがない。
突然変異で強い個体が生まれるのはわかるけれど、その逆なんて、理不尽じゃないか。

……得てして、そんな油断が命取りになる。にわかに心臓が止まってポックリと、あっけなく逝く。それがありえないなんて保証はどこにもない。わかっているさ。これは意地の問題だ。
病院は嫌いだし、このご時世であるから不用意に行くのも憚られるので、差し当たっては安静に過ごすよう努めて、様子見するしかないのだろう。自然に治ってくれたら、ありがたいのだが。
本当に、嫌なものを抱えてしまった。


もし前触れなくこのブログが更新を停止したら、あるいは急死している可能性がある。
そう思えるくらい習慣となったのは、喜ばしい事実でもあるのだが。

 

 

本日の絵

20200611

横顔もたまには練習しないと、ということで。
違和感はあるんだけど、慣れていないから、どこがおかしいのかすぐにわからないやつ。