K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

調子

身体と頭、それからモチベーション……それぞれは異なる挙動によって私を構成している。
もっとも、身体の調子がひどく悪いときには、他の構成要素も随分と影響を受けてしまうのだが、あるいは身体が元気でも頭が冴えなかったり、脳が活発なのに気が向かなかったりすることがある。
相互作用はあるにせよ、基本的には連動していないものだと考えたい。

 

 

普段は連動していないからこそ、それらが同一の方向に働きかけたときには、相当に大きなエネルギーが私の中の出来上がるように感じる。
気力が充実し、何事もうまくいく。才気煥発というわけではないのだろうが、なんでもできる神になったような気分だ。
思い通りにそのモードに入れたら、どれだけ素晴らしいことだろう。

実際のところ調子には激しい波があり、それぞれの頂点が交差するタイミングは、本当に限られた刹那的な奇跡だ。
そんな都合のいい状態になることは滅多にない。だから日常的によく出会うのは、一部に足を引っ張られているという感覚だ。
せっかく前向きに取り組んでいるのに、頭の働きが悪くて、思うように進まない。せっかく頭が冴えているのに、疲れて長時間できない。体力が有り余っているのに、気分が落ち込んで何も手につかない。
調子の良い部分は悪い部分に潰されがちだ。運が悪いと、いつまでも互いにデバフを掛け合っているような期間が続いてしまう。

とはいえ、波長を計画的に合わせることも不可能ではない。身体の調子は食事と睡眠に気を遣うことでだいぶ改善されるし、モチベーションに関しても、習慣を見直して強い意志を固めていけば、意識的に改善することはできる。
長続きするかどうかはともかく、短いスパンで考えれば、操作できないことはないんじゃないかと思っている。

一方で頭の働きについては、運の要素が大きいように思う。当然、睡眠が満たされ疲労が解消されていたら上向きになりやすいのだが、それだけで能力を発揮できるかと言うと、その限りではない。
先にも書いたが、体力と意欲が十分なのに、まったく頭が冴えず何も成せないこともあれば、体調が最悪なのに頭は猛烈に回転するなんてこともある。身体が動かないため空回りだ。困ったことに。

身体は何事においても資本となるわけで、これはいわば成功の必要条件だ。モチベーションも重要で、行動の指針は人生を左右する。ただ、最後の一手を放ち結果を決めるのは、いつだって頭の力なのだ。物事をうまく運ぶには、そのアベレージを高める必要がある。

このように三点から考える自身の調子については、わりと幼い頃から自覚的に考えていたのだけれど、頭の働きについては、いまだに細かい調整の方法がわからないでいる。
まったく新しいことを始めてみるなどの気分転換は有効だと思っているが、そのうち具合が悪くなったり意欲が減退したりで、結局うまくいかないものだ。

頭が活性化する条件には、しかし心当たりがないわけではない。それは、日常的なルーティンにおいて、思考がぼんやりと深みに沈んでいく瞬間だ。
具体的には、家から駅までの道程、風呂場、布団の中など、行為自体に脳のリソースをあまり割いていないときに、ついでのように何かを思い浮かべる現象……あの状態に突入している間は、最大限まで脳が働き、研ぎ澄まされた神がかり的な閃きやセンスが宿っているようにすら感じる。
残念ながら、そのような状況下では絵も文章も書けないし、やがてシーンが変わったときにはフィーバータイムも終了しているため、活かせることはほとんどないのだが、あれを意図的に引き起こせるのなら、まさに神になれそうな気がする。

そう、私は神になりたいんだ。

 

 

本日の絵

20200610
うっすら色をべた塗りしてみたけど、見栄えが若干よくなった……ような気がする。
構図に困り始めたので、明日からしばらく模写中心にしようかな。
あ、描いてから気づいたけど、ひょっとしてこれシャフ度ってやつですか。