K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

中途半端に主語を大きくしない

男は~、女は~、とかいう感じで語っている人をよく見かけるんだけど、そういう言説っていかにも正しい風に思えてくるから、つい鵜呑みにしてしまいそうになる。
受け手がしっかり咀嚼しないでいると、騙されるのは簡単だ。面倒な考え事は避けたいものだし、脳死で頷いていたほうが楽だから、意識的にストッパーを置いておかないと、偏見に陥りやすい。

 

 

一般論って、大衆を味方につけているような気がして、言っている側は当然のこととして処理しがちだけれど、私が思うのは、それって本当に一般なのかってこと。
似た表現で常識とか世間とかあるけれど、ただの主観を、そういう「らしい」言葉を使って隠蔽しているだけなんじゃないかと思うのだ。仔細は無視して、表面的な印象だけですべてを論じようとするやつ。
特にインターネットは、そんな空虚の巣窟だ。

ああ、でも、隠蔽って言ってしまうと、ちょっとわざとらしいな。意図せず主語を大きくしてしまうことって、どうしてもある。私も気をつけていないと、案外いろいろなところで使ってしまっているかもしれない。

どうせなら、もっと大きくしたほうがいいと思うのだ。人類は~、宇宙は~、森羅万象は~、なんて。
簡単に想像が及ばない規模になると、話題が日常生活から遠ざかっていくせいか、真偽はどうでもよく思えてくる。なるほど、すごいすごい、と真剣なんだか適当なんだかわからないが、とりあえず聞く耳を持ってやろうという気にはなる。それらは、語り手がアレコレ嘯く程度のことで価値判断が揺らぐことのない、絶対的なものだから。

 

なんでもレッテルを貼りたがるのは悪い癖だ。たとえば男女における嗜好や性格の差なんて、個人差よりも小さいものなんじゃないのか。そんな研究を、いつだったか読んだ覚えがある。
その研究自体が正しいのかという話もあるが、要は主語一つでまとめてしまえるほど、人間は単純ではないということ。
まとめる場合には、データを用いて傾向から判断しなければならない。私には学術的な分析をする能力がないので、何を語っても妄想の域を出ることがない点が悲しいところだが。
ちなみに「人間」という大きめの主語を使ったが、性質を制限しない文脈なので、こういうのは問題ないと考える。

 

実際のところは、価値観の押しつけにならないのであれば、なんでもよいとすら思う。
だって、ちょっとした感想を述べるには、少しばかり主語を大きくしたほうが楽だし、読んでもわかりやすくなるから。便利なんだよね。
より重要なのは、書き手と読み手が互いに不幸にならない妥協点を探ること、なのだと思っている。Twitterなんかだと、どこからともなくクソリプが飛んできたり意図せず拡散されてしまったりするので、難しい問題ではあるのだが。

まあ、このブログは読み手なんでいないので、書き手のオナニーの痕跡を一方的に放置できる素晴らしい空間だ。ははは。

 

 

本日の絵

20200612

Wピース。一度描いてみたかった。
今日は結構かわいく描けた気がするんだけど、なんだろう、ちょっとエロゲっぽいかな。
最近の流行りとは微妙に違う感じがするので、この感覚に従って少しずつ修正していきたい。