K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

カラオケ

歌うのはストレス解消によいと聞く。実際、内に溜まっているものを大声にして解放するのは爽快で、カラオケには定期的に行きたくなる。
今ではヒトカラに行くくらい、なんてことのない私だけれど、実はカラオケという文化に初めて触れたのは大学に入ってからだった。

 

 

中学生や高校生が、放課後や休日に遊ぶ方法として、カラオケは非常にポピュラーだ。学園モノの創作物には当たり前のようにそういうシーンが出てくるし、実際の中高生の動向について考えてみても、あまり疑う余地がない。インターネットが発達した現代において、それを調べるのは容易だ。
だから、これはただの印象ではなくて現実的な話である。

よくあるのは、期末試験が終わった後など、なんらかの行事の最後に打ち上げ的な形でカラオケに行くパターンだろうか。
仲のいい複数人でワイワイと流行りの曲や好きな曲を歌って盛り上がる。素敵なことだ。
青春を具体化した現象の一つであり、特徴的なのは、陽キャとか陰キャに関わらず、多くの学生たちが当然のように経験しているという点にある。
もちろんコミュニケーションの範囲や規模という観点で、前者のほうが経験豊富な可能性が高いかもしれない。それでも、カラオケというのは一緒に行く面子によって楽しみ方が大きく変わるものだから、たとえば冴えないオタク同士で行って楽しむことも十分に可能なはずなのだ。
私は、そういう青春の一面を本当に羨ましく思ってしまう。私には、なかったことだから。
高校卒業時点でカラオケ未経験という人は、かなり少ないのではないか。統計などは何もないけれど、直感的に私はそう考える。

不思議なことに、思い返してみてもカラオケに行く機会がなかったのだ。ギャルゲー的に言うなら、イベントそのものが用意されていない感じ。修正パッチを当てるように、何か突飛な行動を起こさない限りは、日常的に出てくる選択肢のどれを選んでも、私はカラオケに行くことはなかっただろう。
クラス内ヒエラルキーの外側で気ままに日常を過ごし、放課後は一人でさっさと帰ってしまうか、たまに帰宅部仲間と駄弁りながら帰る。行事の後にも、何も関係ない。クラスの中心部から離れたところで、特定の空気に流されない浮いた存在。そのせいか、カラオケに行くというムーブメントに一切関与することがないまま、気づけば中高の六年間を終えていた。
誘われることはなく、もちろん自分から行くこともなく。ついにカラオケは未知の存在で、得体が知れないままだった。


そんな私が初めてカラオケに訪れたのは、大学一年の半ばだった。なんの用だったか忘れたけれど、あるときサークル活動の関係で二時間ほど時間を潰さなければならなくなったことがあった。行く宛に迷った結果、十人ほどでカラオケボックスの一室にすし詰めになる。
とても緊張した。他のメンバーは当然カラオケというものに慣れている様子で、私が動揺しているうちに彼らは次々と歌いこなしていた。人前で歌うということを考えただけで、脈拍が異常に速くなる。自分の選曲が場に相応しくないものだったどうしよう。声が出なかったら、音程を外したらどうしよう。そうやって、ネガティブな考えばかりが湧いてくる。
何か歌うべきか、それとも……益体のない葛藤に悩まされているうちに、しかし時間は進んでしまうもので、あっという間に退室時間になってしまっていた。
私は初めてのカラオケで、歌うことができなかったのだ。

歌いたくないと思う反面、歌いたいという気持ちもあったのかもしれない。カラオケ童貞を捨てる絶好の機会を逸してしまった出来事は、しばらく引きずるくらい後悔していたように思う。
ただ、チャンスは再び、あっさり巡ってくることになる。サークルの同期の間で、カラオケが流行りだしたのだ。月に何度か、LINEのグループにて参加者を集う投稿が行われた。
もう迷うことはなかった。経験が欲しい。その一心で、自らカラオケに行くことを決意した。

気の合うオタクと行くカラオケなんて、適当に好きな曲を選んで思いのままに歌えばいい。今ではそう思えるけれど、経験のない当時は、それはもう悩みに悩んだ。曲を選んで送信する瞬間の緊張は忘れられない。マイクを手に取って、使い慣れていない喉を震わせて、不出来な歌声を発する。
何がストレス解消なのだろう。つらいだけじゃないか。
初めの数曲は、本当に大変だった。周りのみんなは、あんなに元気よく声を出しているのに、私はまったく声量が足りない。高い音域も全然出なくて、変に裏返ってしまう。歌うのが、恥ずかしい。
これまで使ってこなかったのだから、喉が出来上がっていないのは当然のことだった。他のメンバーは、いわばカラオケのベテランなのだ。素人の自分が比較するのもおこがましい。
途中からは、多少の開き直りがあったのだろう。あまり気にすることなく、力まず歌えるようになっていた。いきなりの徹夜カラオケで喉が心配だったけれど、むしろ慣れるにはちょうどよかったかもしれない。

実質的に初めてのカラオケは、振り返ってみれば反省点ばかりだった。けれど、私はカラオケの楽しみ方に触れることができたという感触があった。また行ってみたい。そんな風に思えるようになっただけで、大きな進歩だったと思う。

それ以降は定期的に誘いに乗って、少しずつ歌い方を心得ていくようになる。何を選曲したらいいか、という感覚も養われていった。

あの曲を練習してみたい。そんな思いから、ちょっと勇気を出してヒトカラに挑戦してみると、思いの外、楽しかった。複数人だと待ち時間もかなりあるが、一人なら独占できる。何度でも同じ曲を歌える。
大学の授業の合間など、ちょっと空いた時間にヒトカラに行くことも珍しくなくなっていた。


大学卒業以降は友人に会う機会が減り、自分自身の自由時間も少なくなってしまったため、カラオケに行くことはほとんどなくなった。もう徹カラなんて、一生やることはないのではないか。悲しいけれど、元同期たちに以前のようなモチベーションはないだろうし、年齢的・体力的にも今後ますます厳しくなってくる。
あれは私にとって、ちょっと遅い青春だったのだ。かけがえのない思い出だ。

最近しばらくヒトカラに行けていないせいか、身体がムズムズすることがある。まだ歌ったことのない新曲をだいぶ覚えてきているので、試したい気持ちがある。部屋で一人のとき、つい口ずさむ。音痴になっていないか、前は出せた音域がきつくなっているのではないか。少し不安だ。
自粛が解除されたとはいえ、今はまだ迂闊に外出したくない。この悶々とした感情を発散する手段は、どこかにないものか。

そのうち、同期だった彼らとまたカラオケに行きたいと思ってはいるが、はたしてこれは、いつ叶う望みなのだろう。

 

 

Drawing on 2020-06-25

20200625

この子はたぶん14歳のJCですね間違いない。
描いてから思ったけど、ホットパンツに長めの靴下ってダサいかしら。