K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

心をぶつける

一か月くらい前の記事を見返してみると、文章はあまり変わっていない気がするけれど、絵が雑すぎて恥ずかしくなってくる。
ほとんど毎日描いているだけあって、改善されてきているのではないか。実際に画力のレベルが上がったという明確な実感があるわけではないけれど、こういうのは少しずつでいい。一年でも続けていたら、相応の力は身についているはずだから。

今日はちょっとした一大決心をしたので、胸のつっかえが取れた気分。
人生をかけた戦いに犠牲はつきものなのだ……

 

 

人間って嫌な生き物だ。
誰も彼も、みんな自分勝手な思惑があって、それらは常に硬い殻に覆われている。
心と心の間に生まれるひずみが、表面的に説明できるものばかりなら、どれだけ気が楽だろう。想いを伝えるのは本当に難しい。だって、そもそも私自身が、堅牢な鎧をまとって心を掩蔽しているのだから。

意思が無限に空を切るような、形だけの相互作用によって空間は成り立っている。
一度でも中身を詰めて解き放ってしまったら、投げた私も、投げつけられた相手も、外郭を突き抜けて内面に傷がついてしまうことは避けられない。傷の形は人それぞれで、癒えるには時間がかかる。なんでもない人もいれば、取り返しのつかないことになる場合だってある。
私はどちらだろうか。心の回復には自信があると思っているけれど、決して傷に強いわけではないと思う。

だから、私はどこか空疎に生きているしかなかった。生気がない。身が入っていない。どう思われようと構わない。
徹底的に傷を回避すること。それが適当に生きていくための最善策だった。

それでも、やっぱり選択を迫られるときはあるものだ。私にだって、包み隠しているというだけで、胸に秘めた想いがある。意志がある。見て見ぬふりをして、それらを放置し平凡な毎日を送れることに安堵する。本当にこのままでいいのだろうか。
私の本音は、首を縦に振らない。

 

このまま楽な道に進み続けようとすれば、きっと大きな傷を受けることはない。逆に変化を求めるのなら、代償が必要だ。致命傷だって覚悟しなければならない。
私は、幸か不幸か、楽な道を選び続けていくことに耐えられないと感じてしまった。いったん芽生えた感情は加速度的に膨れ上がり、いつしか自らの制御を超えようとする。暴走したら止められない。ならば理性が働いているうちに、私を取り囲んでいる外側の環境を整えなければならない。

思えば、私の人生を形作っている相対的に華やかに見える部分のほとんどは、心に優しい選択を拒み、険しく見える世界に突入してきた結果ばかりだった。
落ち着いたところに安住して、それをやめてしまったら、人生は停滞する。実際、私は追い詰められているのだろう。定まったレンジで彷徨い続けるのか、意を決して突き抜けるのかの瀬戸際にいる。
これは、第一歩なのだ。
日々蓄積される鬱屈とした感情から解放されることを望むのならば、ここはなんとしても、進まなければならない。

 

私は、意志の通行を妨げている障壁を破り、ついに相手の心に飛びかかった。唐突に、突き刺すように。こんなもの、どうやったって不意打ちにしかならない。互いに心を痛めることになるし、やはり無傷では済まなかった。
なんて世の中は理不尽で残酷なのだろう。どうしてこんなに苦しい思いをしないと、好きに生きることもままならないのだろう。
ひどく緊張して、せっかく考えを練っていたのに不出来な言葉を紡ぐことしかできなかった。声が震える。人間は感情豊かで、心を持っている稀有な生き物だというのに、その心で語ることに慣れていないのだ。
それでも、出せるものは出しきった。私の吐息は普段の退屈な表現を超えて、確かに空気を変えることに成功したという感触があった。

まだ、何かが確定したというわけではない。理性を優先しているわけだから、もうしばらく我慢することにはなる。妥協点を探るための猶予期間が設けられた。
しかし、私は歩いてきた道とは異なる地に向けて、確実に一歩を踏み出すことができたのだ。心はもう決まっている。選択が変わることはないし、ちょっとしたことで揺らぐようなら初めから行動に移すわけがない。限界だからこそ、できることってあるものだ。後戻りは私が許さない。
これからはもう、傷が癒えるのを待ちながら、現実を少しずつ想いに同化させていくだけだ。あらゆる悩みの大半は時間が解決するように出来ている。
それは短いようで無限の長さに感じるかもしれないけれど、やっぱりあっという間に過ぎてしまう気がする。

 

それにしても、こんなに心がつらいのは初めての経験かもしれない。
これまでの大きな決断は、どちらかと言えば前向きな、出会いの物語だった。
今回は、新しい出会いにつながる端緒であると同時に、別れの物語でもあるから。