K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

呟くのを忘れる

Twitterが苦手だ、肌に合わないと言いながらも、細々と運用しているアカウントが一応ある。
5年くらい前に、ゲーム用に作ったアカウントなのだけれど、当時ハマっていたゲームは引退してしまったし、どういう理由でフォローしフォローされたのか曖昧な人も多く、基本的に誰とも関わることのないアカウントだ。


ゲームをやめてからも、たまに日常的な些細な呟きや、アニメの感想とか時勢に応じたツイートをぼちぼち投稿してはいるのだが、基本的には気が向いたときに開く程度のもの。
気づけば前回の呟きから一週間以上が経っていることも珍しくないし、ほとんど生きていないのと等しいように思う。

このブログを始めてからは、なおのこと呟きが減った。以前なら数ツイートに分けていたような内容は、日記としてここで消化するようになってしまったために、ちょっとした思考整理としての役割を果たせなくなってきた。
現在ではもはや、久しぶりに外出しただとか、あのアニメを見ただとか、この絵が素晴らしい(RT+いいね)みたいな、この日記に書くほどでもない程度の呟きしかできていない。多くの人にとってTwitterなんて所詮はそんなものだろうけれど、ふと冷静になったときに、特にツイートする必要性を感じないな、と考えてしまう。

どうやったらTwitterを主体的に活用できるようになるのか、今のところ答えが見えていないけれど、個人的な今後の課題であるような気がしている。

 

何かを習得しようとするとき、最も近道なのは、それを得意としている人間を観察し真似することだ。実際に目で見て吸収するのは楽しさがあるし、身についているという確かな自覚を感じられることがある。
ただ、デジタルの世界だと、それがなかなかどうして、思い通りにならない。
実際に呟いている場面を外側から観察できるなら話は変わる気がするが、私が得られるのは発信された無機質な情報のみ。どのようなプロセスを経て情報が生成されているのか、緻密に倣うことは不可能に近い。
たとえば小説なんかであれば、長い時間をかけて文章構造を頭に刻み込むことで、似たような文体を生み出すことは可能だ。練られた文章には癖や法則がある。
それらとTwitterは少し異なる。当然、人によって癖はあると思うが、それらはほとんど刹那的に放出されるものだから、法則というよりは、どちらかと言えばノリや勢いに近い。
したがって、まったく異なる状況にいる私が、はたして同様のテンションでTwitterに向き合えるかというと、些か無理な相談というものだろう。

これはもう、真似をするというよりは試行錯誤を繰り返して、自らのスタイルを洗練・確立させていくしかないような気がする。これまた前途遼遠といった具合だ。