K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

九割の無能

Twitterを見ていて、よく思うことがある。
なんでこいつら、こんなに頭が悪いんだろう。
別に、上から目線で馬鹿にしたいわけではなくて、単純に疑問なのだ。義務教育の敗北というやつなのだろうか。普通に考えておかしいだろうと思われることを、平気で言っている。自分の言動が他者にどう思われるか、まったく想定していないようなアカウントも少なくない。
まぁTwitterなんかに高い民度を期待するほうが間違っている可能性もあるが、そもそもまともに日本語の読み書きができていない人も多いし、ひょっとしたら私の思っている「普通」は、普通ではないのかもしれない。嘆かわしいことだ。

 

バズっているツイートには様々なリプライが寄せられる。投稿主に対する称賛や批判、まるで無関係の呟きも珍しくないが、リプライを送った者に対する反応が連鎖して当初の話題から逸れた議論が展開されることも少なくない。
それを議論と呼んでよいものかは、人によって判断が分かれそうなところではあるけれど、とにかくその手の部外者による会話は目障りであることが多いので、個人的には好きではない。よそでやってくれ、という感じだ。

なぜ好きではないかと言うと、たいていの会話は乏しい理解力や読み違えによって生み出された、意味のない文章ばかりだからだ。
本人は自分の言いたいことを言えて満足なのだろうが、大衆の目につく場所でオナニーをされたら、他の人間にとっては気持ちのいいものではない。好きなことが書きたいなら、私みたいにひっそりと日記にでも書いていればいいのに……とは思うが、まぁわざわざリプライを送りつけるような人間は承認欲求が高いのだろうから、何を言っても無駄な感じはある。
ごく稀に、知見を広める有益なリプライが飛んできたり、間違いは間違いであると認められる素直な人がいないわけではないから、まったくの無意味とは思わないけれど、有象無象のリプライのほとんどは、読んだ人間の幸福度を落とす毒であるといっても過言ではないだろう。
FF外のリプライが役に立つ場面なんて、クリエイターに対する賛辞以外に何があるだろうか、と個人的には思う。*1

なぜ、質の低いリプライが延々と続いてしまうのか。それはもう、頭が悪いからとしか言いようがない。
多少のミスは誰にでもあるから、一度や二度の失敗は仕方ないにしても、まともな学習能力があって自他の呟きを客観視することができるなら、炎上なんてほとんど起こらないはずだ。現実には日々、あちこちで火の手が上がっているので、要するに世の中は頭の悪い人間ばかりということになる。
これはTwitterに限らず現実世界のあらゆる場面においても感じられることで、私の体感ではおおよそ全体の九割の人間は能力が低い。社会というのは、一割の有能によって回っているのだ。

仮に(いないとは思うが)この記事を読んだ人がいたとして、勘違いしないでほしいのは、偉そうなことを言っているが私は自分のことを常に有能側だと思っているわけではないということだ。
時と場合によっては十分に無能側に分類されてしまうだろうし、そもそも世の中に存在する大半の現象について私は無知であり、あの人もこの人も無知なのだから、全知全能の神を相手にしている場面でない限りは、目の前にいるこいつは無能の可能性が高い、と思って臨んだほうが精神衛生上よろしい。
自分の好きな分野が一割のほうに入っていれば、人生はきっと充実すると思う。あるいは一割に入っていると思える物事について、そのまま時間を割いて生業にしてしまえれば、それ以上の幸福はないだろう。

ただ、一般教養だとか、リテラシーだとか、それほど限定的でないカテゴリーにおいて無能っぷりを発揮している人が珍しくなく、それがTwitterでは特に顕在化しやすいので、私は彼らに対して強い嫌悪感を抱いている。*2
ああいう人間は自覚がないのかもしれないけれど、よく平気で生きていられるものだ。無知を認めることもなく、新たに学び取る意欲もなく、恥の感覚もない。周囲に不幸を振りまく有害物質。
人間の生き方なんて急には変わらないので、彼らはこれまでずっとああやって生きてきたし、これからもクソみたいな人生を歩み続けるのだろう。憐れみさえ覚える。

 

ふと思い出すのは、昔の自分だ。
インターネットを触り始めた頃、中学生から高校生くらいの年齢。まだ精神的に未熟であり、ネットリテラシーなんてものは身につけていなかった。
思ったことをそのままアウトプットしてしまう。それをぶつけた相手が何を思うのか、一切想像しないバカな私。間違いなくあの時は九割のほうに含まれていた。けれど、それが悪いことだとは思っていなかったし、純粋に楽しんでいた記憶がある。
その結果、何が起きてしまったのかは随分と前の日記で書いた気がするので省略するが、私が自らの罪を自覚する大きな契機となったのは間違いない。あのおかげで精神的に成長することができた。

さて、そんな私だけれど、今でも一割のほうに入れているかは定かでない。大きな失敗を経て、自らを戒めることには成功したものの、あれから世の中は大きく変動しているし、価値観の変化も著しい。はたして、その変化に自身を適応させることができているのか……あるいは過ちを恐れて積極的に活用できないでいるだけのような気もするが。
それでも、冷静に過去を振り返れるようになったという意味では、一回り大きくなったという確かな自覚がある。もうガキではないのだ。
同じ失敗は繰り返さない。

*1:クリエイターにとっては、特にフォロワーが少ないうちは、ちょっとした一言でも非常にありがたいものだ。そのリプライには100いいね分の価値がある。

*2:小学生から高校生くらいまでの子供であれば仕方ない部分はあるが、大の大人が恥ずかしげもなくツイートしているから厄介なのだ。