K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

態度の変化

いなくなるとわかった途端に態度が変化する。まぁ人間だから、そういうこともあるだろう。
もともと会社の人間とは必要以上の関わりを持たないようにしていたから、仕方ない部分もあるとは思う。でもそれにしたって、なんだか最近ちょっと素っ気ない気がする。冷たいとは違うけれど、投げやりというか思いやりが消えたというか。


残り少ない日数、搾れるだけ労働力を搾ってやろうなんてことではないだろうが、あれこれと急に雑用を投げられまくっていて、少々困惑気味の日々を送っている。
まさか、昨年の最も負荷が高かった時期に次いでストレスを感じることになるとは、まるで想像していなかった。

組織から抜けることについて、多少なりとも感情の揺れはあったはずなのだけれど、こうなってくると心底、選択が誤りではなかったと思ってしまう。やはりここに留まり続けていては、自らを腐らせるだけだ。


管理職、たとえば部長とか課長になる人間は、たいてい会社に人生を捧げることを疑わないような性質であることが多いように思う。特に大企業は。
真っ当に社会人を歩んできたことへの自負のようなものが滲み出ていて、社会人としての体裁だとか出世だとかに一切の興味を割かない私とは、本質的なところで隔たりがある。彼らを観察して傾向を分析することはできるけれど、心を理解するのは難しい。

なんでもかんでも若手に任せようとする風潮も、よくわからない。なぜ自分でやらないだろう。地位の高い人間が事務作業をするのは割に合わない? くだらない。
必要になった人間が、必要な手続きを都度やればいいだけの話なのに、わざわざ何も知らない若手を経由して目的を果たそうとする。現実的に無理があることが大半で、結果的に複数人に負担を強いることもしばしば。

思えば、あの人は有能なんかではなかったのだ。
何かを申請すれば数分以内に承認する。プレゼンは短く簡潔に。初めて知ってからしばらくの間は、仕事ができる人間なのだと思った。けれどずっと見ているうちに、ちょっと違うように思えてきた。どちらかといえば、有能だから仕事が速いのではなかった。あの人はできるだけ楽をしたいのだ。手抜きだ、手抜き。テレワークで大した仕事もないだろうに、普段はいったい何をしているのか。
他の部門では管理職が必要な仕事をしているように見える。しかし、私のいるところでは全部部下に放り投げている。
ちょっとした事務作業の依頼メールが届く。他には管理職しか入っていない宛先の中に、私がいたときはびっくりした。管理者が作成すべき資料を、なぜ管理者自身が触ろうとしないのか、まったくわけがわからない。


「一緒にやっていく仲間」から「もうすぐいなくなるやつ」になったわけで、見方が変わるのは仕方ない。任せようと思っていた作業どうするんだと、怒りを感じている人もいるかもしれない。
他人からどう思われているか。印象というやつは、急速に変化すればするほど気づきやすいものだ。心理的なレベルにおいて、私は、もはや数週間前とは別人のように扱われていることだろう。

嬉しいやら悲しいやら、正直なところ微妙な心境ではあるが、個人の目標としては残りの時間を黙々と、淡々と過ごしていくだけだ。
せめて、私の身体が壊れたり貴重な時間を無駄に奪われたりしない程度の生活は保っていきたいが、どうなることやら。