K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

消化できるのだろうか

消化と言えば、私は胃腸が弱く消化不十分で腹を壊すことがよくあるのだが、今日はその話ではない。

 

会社には有給休暇というものがあって、基本的には決まった回数の中で自由に休むことができる権利だ。
法律で、年に5回だったかな、雇用者が従業員に対して必ず取得させなければならないと定められているため、結構管理が大変なものでもある。

貯めておけるのは前年度分と合わせて40日というのが、おそらく一般的だ。普通に過ごしていたら毎年使いきるということはあまりないため、少しずつ増えていくことになる。
スケジュールと相談しながら、溢れさせないように計画休を取得する人も少なくないだろう。

問題は、その会社での生活を続けていくという前提がなくなる場合だ。余っている休暇を使わずに最後までいるということは、タダ働きに等しい。余りを金に変換できるのなら話は変わるが、どうやら弊社にそんな制度はなさそうだ。
だから、可能であれば去る日までに残日数を0にできるのが好ましい。
好ましいのだが……本当にそれが可能なのか、残された日々を数えてみると若干怪しくなってきた。
一応、希望は伝えているし、うまく汲み取ってくれていたら助かるのだけれど、今のところ結構ギリギリというか、このままの空気では無駄になりかねない感じがしていて非常に危ういのだ。
ケツは動かせないため、限られた範囲で調整するしかないわけで、私個人の問題で済むのなら話は簡単なのだが、どうにもそういうわけにはいかなさそうに思える。

これ以上、私に何を求めるのだろう。もうモチベーションは枯れ尽くしているし、前向きに取り組む力なんてほとんど皆無に近い。できることなら、すぐにでも忘れてしまいたいくらいだ。
それに、今後の環境を変えていくにあたって、いろいろと準備もあるし、しばらく休めることを想定しているから、あまり拘束されると人生が狂いかねない。大袈裟かもしれないが、結構マジな話で。
会社なんぞに生き方を歪められてたまるか。


そうそう、生まれてから現在までで、学校をはじめとしたさまざまなコミュニティに所属してきたけれど、どこにあっても他者の影響を受けることによって、なんらかの形で価値観の変動というものが起こったように思う。度合いに差はあれど、それなりに覚えているものだ。
しかし、こと会社に関しては、ごく僅かにしか感じることができなかった。
染まってやるものか。絶対に取り込まれないぞ。こんな作業、仕方なくやってるだけなのだ。くだらない。
まったく誉められた姿勢ではないだろう。でも別に、真逆の形で誠意をもって取り組んだとして、いったい何が変わるというのか。余計に疲れるだけではないか。
まぁそんな風に、心を開かず適当に過ごしてきたから特に思い入れもないわけで、むしろどんどん反発精神が芽生えて、長年かけて私の中で育ってきた個性の塊のようなものが、徐々に内面を満たし始めた。
そして、いよいよ体外に噴出しそうになったのか、あるいは既に出てしまっているのか微妙なところだけれど、そのことを露骨に自覚し始めたのが、ここ半年くらいの出来事だった。

ということでね、さっさと関わりを絶ちたいし、すっかりその気でいたのに、私の手足に絡みついてくるような空気感が漂っている気がして、このところ、とても面白くない。
早く解放してくれることを切に願っている。