K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

眼精疲労

一日のうちにPCスマホ合わせて16時間くらい画面を見る生活を続けていたら、そりゃあ眼が疲れるのも当然というもの。
でも現代人なのだ。ある程度は避けられない。

 

今日の午後、なんだか頭が重い感じがして、これはまた不調モードに突入してしまったかと気分まで重くなってきたところで、慣れない症状が出る。眼の奥が痛いのだ。
右眼の奥のほうに鈍痛がある。画面を見ているだけで、というより眼を開けているだけで奇妙な違和感がまとわりつく感じ。

あまり経験のない痛みなので、ちょっと不安になりながらも、眼を閉じていれば楽になるため、とりあえずのところは、ただ疲れが溜まっているだけだと判断した。
とはいえ仕事があるので長時間休めたわけではないし、これを書いている現在も少し痛みが気になるところなのだが、とりあえず明日の朝になって治っていたらいいなぁという話。治っていなかったらどうしようか。

眼の酷使という意味では、外出機会が激減したことによりコンタクトレンズを装着することもほとんどなくなったため、物理的な負担は以前に比べて軽くなっているはずなのだが、椅子に座って画面を凝視している時間は増えているからトントンか。
最近、たまに外出する際にコンタクトを着けると、かつての慣れが消えてしまったせいか疲れて疲れて仕方ないのが悩ましく思う。眼の疲れは眠気に直結するため、迂闊に外に出ると帰宅後の時間をフイにしかねない。

 

視力は、両親がとても悪いから遺伝的に近眼化するのはわかっていたことで、中学の後半くらいから黒板の文字が見えづらくなった。高校からコンタクトを使い始めたけれど、その便利さと世界の見え方の変わりように感動したものだ。
しかし、それから今までかなりの長い間、眼に負担をかけ続けてきたのだから、よくよく考えると怖くなってくる。
むき出しの内臓みたいなものだし、失われたら取り返しのつかないことになるから、たまには労ってやらないと、と思わないわけではない。現実問題として、多少の負担を強いなければ毎日の活動が回らないから、一日中寝ているくらいしか解決法はなさそうだが。

視力を失った後のことを想像すると、生きるあらゆる楽しみが同時に失われてしまうのに等しく感じられて、その先を生きていける気がしない。そんな世界には何があるのだろう。
恐ろしいということだけは直感的にわかる。いくら好奇心があっても、その深淵を覗こうとすら思えない。本当に恐ろしい。
身体のパーツは、言い方は悪いかもしれないが消耗品であるわけだし、そろそろ自分のことを若い人間だと胸を張れるか怪しい年齢に差しかかってきそうな気配がある。
これまでと同じように適当に生きて適当に回復すると思っていたら、実は手遅れになっているなんて可能性もあるわけだし、今後はしっかり身体のメンテナンスのことも考えながら日々を過ごさないといけないのだろう。