K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

日記という習慣の役割

2020年のゴールデンウィークに始めて以来、ここまで途切れさせることなく継続してきた日記という習慣なのだが、実際に感じている効果と今後について書いていきたい。
結論から先に言ってしまうと、来月の初旬つまり3周年を迎えた時点で、欠かさずに実施する「日課」という位置づけからは外そうと考えている。

 

私の生活が、ほとんど他人と会わないという特殊な形態であるがゆえに、日記を続ける効果は絶大だった。
人間というのはコミュニケーションを取ることで生命として発達し、諸々の文化を発展させてきた存在だから、基本的には孤独で生きていくことはできない。
もちろん私も世界に一人きりになれば、そう遠くないうちに明るい未来は閉ざされてしまうだろうが、ここで言う「孤独」というのは日常を他者との関わりなく自分だけの営みにおいて完遂できるかどうかという話になる。
きっと、他の存在との交流こそが生き甲斐という人間には非常に難しい行為に違いないのだろう。しかしながら、幼少期より一人の時間を至福と捉えていた私にとっては、それほど大変には感じられなかった。

とはいえ、自分だけで完結する毎日というのは、どうしても刺激が減る。そして刺激のない日々に、おそらく人間の脳は状態を維持することができない。
まぁ読書のような頭を使う物語世界への没頭が日常の大半を占めるようになれば、多少は話が変わってくると思うのだけれど、私の場合は在宅時に長時間の読書を行うことが体力的に容易ではないという事情があり、普通に過ごしていたら思考力を養うためのプロセスが不足してしまうという問題があった。
実際、対人コミュニケーション中における頭の回転は、まだ他人との関わりを維持できていた学生時代などと比べて、随分と低下してしまった感覚がある。
これは慣れの問題であって、そのような環境に再び身を置くことがあれば、しばらくすれば元通りになるような気がしないでもない。ただ、いずれにせよ急に人前に出なければならなくなったら、狼狽するばかりの姿が想像できる。

そんな危機的状況を救ってくれているのが、まさに日記なのだ。
他の誰かとの会話はない。けれど、自らとの自己対話は文章という媒体を通じて実現させることができる。
こうして文章をアウトプットする過程で、私は私の中にある思考する自己との対話を生じさせている。自身がその時々で何を考えているのかを把握し、客観的な情報として形にする習慣は、私が生活から取り除いてしまっている一般的なコミュニケーションの効果を補うものとして、私が人間であり続けるための経験値となっている。
もっと簡潔に、具体的に言うなら、バカにならないための思考力維持に寄与している、ということになる。

日記を続けてきたことで、今でも私は「考えること」を放棄せずにいられる。何か直面した物事に対して、深く考察を加えず世間の流れに身を任せる……そういう人が増えているような気がするし、そのほうが楽というのも理解はできるけれど、しっかり考えた上で判断できる能力を持っておくことが、一人で生きていくためには必要なのではないかと思うのだ。

 

日記の重要性を書いておきながら、冒頭には止めるという旨を書いた。
その理由は、単純にコストが少なくないからだ。時間的な都合が最も大きいけれど、書いた後にどっと疲れることから体力面の影響もある。
ある程度、暇だからこそ欠かさずに続けることができた。しかし、よくよく考えてみれば、その時間を他の作業に充てていたら今とはまるで違う成果を出せていたかもしれない。結構なエネルギーを使うため、日記を書くだけで一日の活動を終了してしまうなんてこともあったけれど、流石に本末転倒でしかない。
そういうわけで、もっと他の活動に注力していくためにも、日課というノルマは重すぎると判断した。

日記のメリット、デメリットともに知っているから、かなり悩む決断ではあったけれど、変化を加えていかなければ惰性の日々が待っているということで、3年という区切りもちょうどいいタイミングなのではないかと思う。
もっとも、相変わらず他人と会わない生活は続いていくし、このまま日記を書かないようになったら脳のパフォーマンスが著しく低下する恐れがあるから、やはり定期的な文章によるアウトプット作業は必要だと考えている。会話相手がいない以上は、工夫するしかないのだ。
たとえば曜日を決めて、頻度が落ちる代わりに文章の質と量を高めていくという方針も悪くはない……けれど、何曜日に書くという風に決めてしまうと却って作業感が出て、モチベーション的には逆効果のような気もする。
大雑把に、最低でも週に2,3記事の投稿、みたいな形で、何かしらの書きたいテーマを思いついた時に日記化するほうが合っているだろう。

それほど投稿ペースが劇的に変化するとも思っていない。
競馬がGⅠシーズンの間は予想や回顧の記事を出すだろうし、遊んでいるソシャゲのイベント結果やアップデート内容について言及したいと思えば、迷いなく更新するはずだ。
ただ、特に何もなかった日に無理矢理、文章を考えるのは無駄が多いから、今後はなくなるだろう。
実家に帰省していて暇がなかったり、あまりにも疲れきっていて書く余力の残っていない日は、仮に書きたい出来事があったとしても後日に回す形になる気がしている。

そういうわけで、これから心境に変化がなければ、4年目からの私は日記という日課を廃止する。
しかし日記自体を止めるのではなく、今後は生活と折り合わせつつ無理のないように、そして一つの記事に対する注力度合いを高めて、マイペースに更新を続けていきたい。
なお、3周年までは変わらず毎日投稿していく。