K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

頭の中で済んでしまう

文字通りの話なのだが、どうにも私はメモを取ったりスケジュールを作成したりToDoリストを作ったりするのがすこぶる苦手で、ほとんど頭の中で記憶・整理・計画を進めてしまう。
こういう話をすると頭がいいとか言われたり言われなかったり……まぁどう思われるかはどうでもいい。ただ、私と同じような感覚を相手に求めてはいけないのだということが、最近よくわかってきた。

 

単純に、最適化しているだけなのだと思う。
何か物理的な媒体に記録することが不得手な分、頭の領域を使っているだけなのだと。
実際のところは、人間の脳なんていい加減な部分が多いから、たまにド忘れや致命的な誤りが生じる。基本的には効率がいいのだけれど、心身の調子にも影響を受けるせいで、私という人間の処理能力は波が大きい。

まだ若いからこそ記憶力を頼ることができるわけで、そのうちパフォーマンスがガタ落ちするのではないかと、今から危惧している部分はある。
大学までは本当に、手帳だとかメモだとかに頼ることが一切なかった。予定管理も、頭の中に刻み込んでおいて、その日が近づけば自然に思い出すことができる。
ここ最近になってようやく、簡単な日時と内容くらいはスマホのカレンダーで管理するようになった。流石に重要な約束をすっぽかすのはマズいし、以前ほど頭が冴えなくなってきたから、その保険として。多くの場合、わざわざ確認せずとも覚えているから、役に立っているかわからないが……まぁ当日になって時間に間違いがないかチェックする程度には活用できている。
ちなみに、約束自体を失念していた場合はまるで意味がないことになるが、しかし毎日カレンダーを確認するなんて私にはできない。性格的な意味で。面倒くさいのだ。

その日にやらなければならないこと、頼まれごと、なんらかの手順など、いちいち形に残しておくことがうまくできない。だって、話を聞いてその場で覚えてしまえばいいじゃないか。書くことに集中するあまり、続きの言葉を聞き逃してしまうかもしれない。だったらその集中力を、相手の発言そのものに向けて、すべて吸収するつもりで臨んだほうが、ずっと楽だしリスクも低いと思うのだ。メモを取るのはパスワードとか、記憶しづらいないしは短時間で忘却してしまう可能性のあるものだけでいい。
……なんてことを言うと、性格が真逆の人間からは強い反発を浴びそうだが、実際にどちらがいいのかは性格次第なところもありそうだ。私は頑張ってメモを取ろうとするあまり、残しておける情報の質が非常に悪くなることがわかっているから、あえて頭の力だけで物事を把握するようになった。結局は経験則のようなものだ。
頭がいい悪いなんてものではなくて、個人の性質に合っているからそうしているだけのこと。私からすれば、無形かつ不定形になり得る情報記録手段よりも、要点を簡潔に客観的な形でまとめられる能力のほうが、よほど優れているように思える。

 

予定管理に関しては、個人的な事情もある。
おそらく私は一般的な人間よりも圧倒的に友人の数が少ないし、そういう友人との用事そのものが、月あたりで多くても片手で数えられる程度にしかないから、わざわざ管理しなければならないほど予定が埋まることなんて滅多にないのだ。悲しいことに。
今年は多くの知人(友人に限らない)との連絡そのものが絶たれている状態なので、なおさら予定なんてないわけだが、一つ気がかりなのは、この誰とも連絡を取り合わない生活は来年になっても元に戻らない可能性のほうが高そうということ。
もしかしたら年老いて記憶力が落ちても、約束を覚えていられないなんてことにはならないかもしれない。

それにしても、私から誰かに話しかけて何かに誘うことなんて、それこそ人生の累計でも両手があれば数えきれそうな気がしている。特に目的のない、くだらない会話をLINEでするのは私の精神が耐えられないし、私に対して雑談を求めてくる人間もこれまで出会った中には一人もいないため、まずありえない。
今年に入ってから家族以外とLINEでトークを交わしたのは4人だけだし、たとえば強めに下にスクロールすると2017年の半ばまで遡ってしまうくらいだから、まぁどれだけ他者との接点が少ないことか。もちろん非表示とか削除なんてしていない。
考えれば考えるほど、本当に「友人」なんてものがいたのか、非常に怪しくなってくる。独りでも大丈夫とはいえ、その事実自体には寂しさとか悲しさみたいな感情が芽生えないわけではないのだ。