K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

V.E.

『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観てきた。
公開直後ということもあるので、一応ネタバレしない方向性で簡単に感想を書いてみたい。


このアニメはテレビシリーズおよび昨年に公開された外伝において一定の評判を得ている通り、とても質が高く、それでいて強く感情に訴えてくる作品だ。
私も何度か泣かされてきた経緯があるので、今作もどこかで泣かされるのだろうと思っていた。いや、まさか冒頭の5分で涙腺が壊れることになるとは思わなかったけれど。

全体を通して、非常に作画クオリティが高く、線の一つひとつに惚れ惚れしてしまう。『ユーフォ』の劇場版でも感じた京都アニメーションの全力が、スクリーンからよく伝わってきた。絵の持つ力は、やはりとてつもないものがある。
気のせいかもしれないけれど、横顔のシーンがとても多いように感じた。京アニの描く横顔は昔からとても好きだったので、たくさん見ることができて感激した。そのあまりの安定感と美しさに、見惚れるばかりだ。
個人的には、回想シーンの幼さの残るヴァイオレットちゃんと、溜め込んでいた感情が一気に表に出てくるヴァイオレットちゃんが印象的で、特に後者は口許の動きなど、感情表現が神がかっていたように思う。ストーリーを抜きにして、あのシーンの映像だけで感動できる。本当に素晴らしいとしか言いようがない。


泣けるという意味では、個人的には冒頭の5分くらいが最も強烈で、あとは終盤に入ってからずっと揺さぶってくる展開だったので、全体としては常にじんわりと心が震えているような感覚があった。
その分、余韻も凄まじいものがあった。終わってから立ち上がるまでには数分かかったし、劇場を出てからは、あてもなくふらふらと歩く始末……同行者も同様だったようで、ちゃんと意識が戻ってくるまでには時間が必要だった。

ただ、ここまで感動したと書いておいて矛盾するようだけれど、思っていたほど感動しなかった、ということも念のため書いておきたい。
というのも、個人的な話になるが、泣きポイントとしては上に書いたように冒頭のシーンが頂点だったからだ。
テレビシリーズと劇場版との一連の流れにおいて、作品の根幹部分に関する私の理解と期待を先入観とするなら、それらが本作を純粋に楽しみ、共感し、感動することの妨げとなった可能性は否定し得ない。かつて10話を見て号泣した時のような、自身に対する特大のインパクトを求めていたことは、一面において事実なのだ。泣き要素に限定するなら本作はそれには及ばなかったというだけのことで、作品の本質は流れ出た涙の量で決まるわけではない。
よく考えてみれば、大筋自体はごく自然なものだったのだ。終わってからの印象は圧倒的な満足感で、ほとんど不満なんてなかった。
総じて、とても、とてもよい映画だったと思う。

少し付け加えるなら、どちらかと言えば、新キャラであるデイジー回りのシーンのほうが、涙腺を刺激されたように思う。それはとりわけ、テレビシリーズからの繋がりを明確に意識させられる部分だからなのかもしれないし、あるいはキャスティングについて、いわゆるエモさを強く感じ取ったからかもしれない。
やはり声や演技というのは、作画や脚本と同様にアニメの重要な構成要素であると強く思う。


電話が登場した。時代が進み、新しい技術が生まれることで、人間が他者と関わる手段が増える。それはとても素敵なことだけれど、一方で古い様式は徐々に廃れていってしまう。手紙、代筆、ドール。
けれど、使われなくなるからといって、なかったことになるわけではないのだ。決して無意味にはならない。
手紙という名の想いの宝箱は、やがて時代を越えて受け継がれていくし、触れた人の心を豊かにする。

技術分野の革新が目覚ましい現代社会に生まれた我々は、昔に比べると段違いに情報に晒されるし、情報に埋もれてしまう。生き方を見失い、常に宙ぶらりんな感覚で生きていくことを余儀なくされるのかもしれない。けれど、懸命な想いを載せて、ひたむきに目の前の事柄に向き合っていけば、いつかきっと、かけがえのない出会いに恵まれ、その痕跡を残すことができるのではないか。強い想いは、形をもって自らに帰ってくる。
そう思わせてくれる希望のようなものを、私はこの作品から受け取ることができたような気がする。