K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

考えるほど時間は足りなくて

一日の時間の使い方について、最近よく考える。現状は「やらなければならないこと」は多くなく、「やりたいこと」がそこそこ、そこに体調や怠け癖の問題などが絡んできて、実際に時間を活用できているのは後者――仮に「意志」とする――の半分くらいにとどまっている。
では、前者――仮に「義務」とする――に費やさなければならない時間的・体力的リソースが大幅に増加したとしたら、これまで通り「意志」を果たすことができるのだろうか。
疑問の回答は、きっと二つある。「やってみなければわからない」と「自分が変わればいい」だ。

 

あれもやりたい、これもやりたい。私は実のところかなり欲張りなので、興味を持ったり一度ハマったりすると、そのすべてに対して、どうしたって全力にならざるを得ないし。だって一時的にせよ、その時に溢れる活力は、私の日常におけるあらゆる行動の中で最も輝いているのだ。
端的に言ってしまえば趣味が大好きなわけで、至極当たり前の話でもある。楽しいと思えることに全力を注ぎたい。疑いようのない、透き通った感情だと思う。
気になっているのは、それが複数同時に発生した場合だ。時間は限られていて、体力にも限度がある。ああ、どうして私は分身できないのだろう。後で記憶だけ引き継いで結合できたらいいのに。

これまで生きてきた過程で身についた、自身の行為について発生するコストや所要時間に対する主観的な時間感覚を用いた判断によると、明らかに「意志」がキャパシティを凌駕している。少なくとも今の私には処理しきれる量ではない。
さて、どうしたものか。

 

想像するのは楽しい。
自分の全力を出せば、これくらいのことはできる、ということを知っていて、幻想の中で私はいつでも全力全開だ。最高のパフォーマンスを維持して走り続けて、無謀かと思われる課題を次々と片付けていく。
なんて楽しいことだろう。それが実際にできるのなら。

現実的に考えると、全力を発揮できることなんて稀な出来事であって、継続して走るためには出力をある程度は緩めたペースが肝要となる。数値化なんて無理だけれど、ひとまず最大の半分くらいと仮定する。すると、どうだろう。「意志」の半分しか手を付ける余裕がなくなる。まして「義務」が増えるとしたら、「思っていたよりやりたいことができない」のは必定だ。
なんとなく分析してみるだけでも、体験する前に、厳しい現実が先に待ち構えているということが予測できてしまう。悲しいことだけれど。
うむ、しかし本当にそうだろうか。

自ら掌返しをするようで気の進まない部分はあるが、これはあくまで現時点の私に対して、環境だけ変更したという想定に過ぎない。今の環境に適応している私の「型」は、そもそも新しい環境に不適合であって当然ではないか。もっと言うならば、これまでに見たことのなかった、知ることのなかった発見が少なからずあるはずで、その何か新しいものとの相互作用によって、私自身にも変化が訪れる。
これは想像というよりは体得的に知っている確信に近いものなのだけれど、ともかく前述した前提は根底から覆る可能性だって十分にあるという話だ。すなわち、冒頭にも書いたように、やってみなければわからない。

 

あと考えるべきは、確かにこれから変化が起こるとして、ではその度合いがどのくらいかという問題だろう。
今の全力を半分くらいの力で出せたらなんとか回せそうという感覚があるから、目指すべきは、能力値で言えば二倍ということになるだろうか。書くのは簡単だが、二倍ということはつまり、一週間かかる作業は三日と少し、一日がかりの作業は半日で終わらせることになるわけで、なんらかの革新的なブレイクスルーを期待しないことには、エグいほど死に物狂いになっても厳しそうに思える。
半年とか一年とか、そこそこ長くもあり短くもある期間で到達するには少々どころではなく険しい道になるはずで、私の精神や身体が正常に機能したままその状態にもっていけるのか、非常に怪しい。怪しいけれど、それでも意欲はあって、さらに言えばもはや後戻りはできなくて……だから結局、無謀にも突っ込んでいくしか選択肢はなく、そしてまぁこれも、「やってみなければ」なわけだ。

「頑張るぞ!」と正の私は無限に騒ぎ立てている一方で、「何もしたくない一生寝ていたい」と訴える負の私が呪いをまき散らし、心の中では日夜激しい争いが繰り広げられている。きっと、どちらかが一方的に勝つなんてことはなくて、勝ったり負けたりを繰り返して日常を形作っていくことだろう。

ちなみに、ここで掲げてみた目標は、二年後くらいに達成できていたらいいなぁと考える「中くらいの目標」に取り組むための条件を整えるのに必要な課題で、大きな視点で考えれば「小さな目標」の一つでしかない。
期限を具体的に決めるのは難しいけれど、意識のうえでは半年から一年ということで、まぁキリよく年明けから開始というカウントにするとして、来年の六月一杯くらいを目途にする感じだろうか。その時までに具体的な何かを成し遂げるというよりは、事前に思い描いていた軌道になんとか乗ることができていればクリアという形にしたい。