K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

性格の問題だから仕方ないという言い訳をする

いつの間にか「その日」が迫ってきていて、実際にはほとんど何も準備が進んでいないので危機感を覚える今日この頃、とりあえず明日は計画的に動かなければならないという気持ちで一杯だ。
本当は今日のうちにいろいろと消化しておくはずだったのに、朝方の妙な肌寒さのせいで起床が遅れてしまったのが悪いのだが、自分のせいにしたところで現実は変わらないので、余裕のない今は過去を振り返らずにできることだけを考えることにしたい。

 

準備とは言っても大層なことではなく、基本的な用意をするだけだ。運び出すもの、新しく買うもの、などをリスト化して、当日に焦らず慌てず悩まないようにする。最悪、間に合わなくても後からどうにでもなるから、悲観することでもない。
あとは、立つ鳥跡を濁さず、ではないけれど、一応は今いる環境の整理もとい掃除などをしなければならない。正直なところこれが一番面倒で、明日の一日とかましてや半日程度で終わるとは思えないから、きっとずるずると来週までかかってしまうことだろう。
物が多すぎるから処分する対象物の見定めに時間がかかるし、いったん部屋の外に出すにしても大半が埃を被っているからきれいにするのが優先で、しかし足の踏み場に困るレベルなので非常に手間がかかる。
なぜ数日前から始めておかなかったのかと自問するけれど、しかし答えは簡単な話だった。今の環境と私の性格から導き出される結果として、これは自明のことであって、十分に予測ができるはずだった。というか、なんとなく予想はしていた。

さて、新しい環境ということで、普段使いの机や椅子、寝具、家電なども一新することになるから、量販店の通販サイトなどを見るのは比較的わくわくして面白い。ただし、値段に目を瞑ればの話だが。
たいてい、いいなと思ったものは想像よりも高くて、そして目移りしているものの半分くらいは、おそらく不要なものだったり機能だったりするのだから、いったん冷静になって考えたほうがよいのだろう。
そういうものを買うのは、実際に移ってからでも遅くはないのだ。数日は殺風景な部屋で過ごすのも悪くはないだろう。
いわゆる一般的な「引っ越し」は行わずに、自分で済ませてしまいたいと思っているから、必要だと思うものをパケットで運んで、理想に近づいてきたら寝る環境も移せばよいだろう。甘えすぎかもしれない。ただ、それくらいゆとりのある生き方のほうが余計な疲れを感じないはずだし、結果的に後悔も少なくなると思うのだ。

悩む理由が金額なら買うべきで、買う理由が金額なら買うべきでない、というような金言がある。
あまり普段から物を買うことのない私は、ちょっとした出費でも値段が気になってしまい、どちらかと言えばコスパを重視しがちだけれど、長く使うとか、質がモノを言うとか、これから購入する可能性のあるいくつかの品物は、そういう類だ。生活費として確保しておきたい分があるとはいえ、余剰資金がゼロというわけでもないだろうから、この際QOLを買うつもりで、多少は贅沢をしてやるくらいの心構えのほうが幸福度が上がりそうな気もしている。
運の悪い私のことだから、せっかく買った家具や家電が不具合ですぐに壊れるとか初期不良に当たってしまうとか、面倒なトラブルはあるんだろうが、保証を得られる形で入手しておけば問題ない。面倒なだけで大きく損はしないはずだから。逆に妥協して選んだものだと、品質が微妙でも面倒事に遭う事実そのものが億劫で、結果的に損をしたまま過ごしてしまいかねない。
まぁ案外、安物でも悪くない商品との出会いがあるものだけれど、もし高価なほうを買えば、もっと素晴らしい体験が待っているのかもしれないから、どうするのが正解なんて一概に言えるものではない。

 

明日は朝から身体を動かす必要があるから、夜更かしだけは避けなければならないし、できれば寝る前に具体的な手順を考えておく必要がある。
掃除の仕方、なんて検索して普通に出てくるようなありふれた散らかり具合とは一線を画する勢いで滅茶苦茶なせいで、どこから手を付けていいかわからないどころか、下手に手を出すとバランスが崩壊して余計に何もできなくなりかねない。

こういう状況に陥っても、なお思うことがある。
掃除をするのが大変なら、日頃から整理整頓を意識して生活すればいいのではないか、という意見があって然るべきなのは理解できるし、冷静に考えると否定する余地がない。そんな風に生きられたら、どれだけ楽だろうか。けれども、私という人間の本質を知っている「私」が判断するに、そういう日常に影響を及ぼす「意識」とやらは、きっと私に対するあらゆる動作の効率や集中力を奪うデバフ要因になりかねないのだと。
だから、地獄のような掃除を長い間隔を空けて時おり経験するほうが、長い目で見ると生産性や精神安定性を高い水準で保てるのではないか。

そんなわけで、昔から外では几帳面だと言われ続けた私は、今日もズボラに生きることにする。