K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

例によって体調不良

朝、なかなか起きられず起床は昼過ぎ。昨日の疲労が影響しているかと思ったのだが、午後しばらく経っても頭が重い感じが続いたので、原因は別のところにあったようだ。
今日予定していた作業をすべて放り出して、暗くなるまでずっと眠っていた。


夕飯時になって目を覚ましたものの、昼寝に入る前と身体の状態は変わらず。喉の具合も悪いから、軽い風邪のようだ。
熱はない。熱がないのにこれだけ怠いのだから、発熱というのはどれほどつらいものなのだろう。中学以来、高熱に苦しんだことがないので忘れてしまった。
とりあえず、今はいくらでも眠れそうなので早いところ就寝したい。この数日でだいぶアニメが溜まってきている気がするけれど、体力を戻すことが優先だ。

それにしても、今回は実家だし症状は異常な眠気だけで済んでいるけれど、もし一人でいる時にひどく体調を壊してしまったら、何もできないのではないかと不安が大きい。
眠っていればそれなりに疲れは取れるにせよ、しっかりした食事を撮らなければ完全に回復することはないだろう。意識が朦朧とする中でその用意をしなければならないと考えると、とても心細くなる。
慣れていないだけで、大したことではないのかもしれないが……家庭の事情によっては高校生くらいの年齢から一人暮らしに近い生活をしている人もいることだろう。大学生にもなれば普通のことだし、ごく一般的な営みであるとはわかっていても、私にとって未知の領域であるから素直にすごいことだと思う。
一年も経てば、きっと私も慣れたもので何も問題にしないと願いたいが、私のことだし楽観的ではあるけれど、実のところ楽観視はしていない。

世の中の多くの人間がやっているのだから、私にできないはずはない。
そういう考えは多くの場面において正しくて、なんだかんだ悪戦苦闘しながらも達成できてしまうものだ。しかしながら、そのような一般性を、最近の私は信用できなくなってきた。
常識的な考え方とか思考の方向性などと、自身に対する理想的な在り方との乖離が、自分でも気づかないうちに大きくなっているようだ。ここ数か月の私の行動は、その最たるものだろう。
まぁいくら心配性の私が存在感を強めたとしても、根っこにある適当さ、いい加減さがすべてを緩和して、ゆとりを保ちながら私を窮地に追い込んでいくのだ。こうして自然な感覚に任せておけば、おそらく大変な局面を迎えることはあるにせよ、大きな失敗はしないというのが私のパターンなので、それほど悲観はしていない。きっと、なるようになる。