K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

眼鏡とコンタクト

家系的にも生活習慣的にも私の近視は宿命的なものであり、小学生までは余裕で1.5は見えていたにもかかわらず、中学の卒業までには矯正が必須なくらいに視力が低下した。
中学の間は意地を張って裸眼で頑張っていたけれど、一番前の席にしてもらっても目を細めなければ安定して情報を得られないとなれば、限界であるのは火を見るより明らか。
初めて眼鏡を作り、同時にコンタクトレンズデビューを果たしたのが、高校に入学する直前のことだった。

 

それから何年も経過して、今ではすっかり眼鏡なしには生きられない身体になった。コンタクトレンズは違和感が少ないけれど、眼への負担や疲労度を考えると、特別な用がなければ眼鏡のほうが好ましい。
最近では画面を見ている時間が、十年くらい前と比べて極端に増加しているせいか、年々少しずつ視力が落ちているような気がしている。
実際、以前に作った眼鏡では見えづらくなっているから、視力が低下しているのは確かなことなのだろう。コンタクトに関しては元々強めのものを装着していたので、今でも問題は感じないが。

今年は特に外出機会激減などの事情から、生活している時間のほとんど九割ほどを眼鏡に頼っている。だから、あまり意識できなかったのだけれど、よくよく考えてみると相当に使い古している私の眼鏡は、度が合っていないしレンズは傷だらけで、流石に買い換えたほうがいいのではないかと思えてくる。
慣れているから、できればフレームを変えたくないという思いもあるので、レンズ交換でもいいのだけれど、とにかく一度、店に持っていったほうがよさそうだ。

一つ気になるのは、いつどこで買ったものかわからない眼鏡のメンテナンスを受け入れてくれるのかどうか、ということ。
店の公式サイトによれば有料で対応してくれるところもいくつかあったけれど、どれも微妙に高くつく。これなら、新しいものを買うのと、あまり変わらない。
家でしか使わないし無頓着だから手入れなんて滅多にしたことがなくて、鼻パッドは緑青だらけだし、こんなものを渡されても困るのではないかと思わないでもない。
ただ、早いところ眼鏡の問題を解消しないと、これからの生活に少し不都合が生じそうなので、今週のどこかでなんとかしてみたいところ。

眼鏡が駄目ならコンタクトレンズを使えばいいという話ではあるのだけれど、今回の問題はまさにコンタクト側から発生しているのだ。
以前の私は、まぁ学生であったから当然なのだけれど、毎日のように外出する機会があった。コンタクトはOneDayタイプのものが一般的だと思うが、毎日となるとコスパが悪い。特に清潔感など気にしない私は、最長で二年ほど使える長期タイプのレンズを使うことにしていた。
そして、それを今でも持っている。
最後に交換してから、もう五年くらいになるだろうか。本当は眼球の健康を考えるなら、とっとと止めてしまうべきで、端的に言ってケチるところを間違えているのは否定できない。
普段は洗浄液に浸けたままで、月に数回だけ装着するのだから大丈夫だろうと、ずるずると使い続けているのだけれど、ちょうど洗浄液が切れたことだし、そろそろ別のものに切り替えたほうがいいと、私の心が訴え始めた。
さて、どうしたものだろう、というのがここまでの流れだ。

あまり使う機会のないコンタクトについては、ひとまず棚上げしておくとして、しかしそうなると眼鏡への依存度がますます高まるのだから、これまでのようにいい加減な状態で使っておくわけにもいかない。
新しく作るにせよレンズ交換するにせよ、なんらかの変化が必要なのだ。
実のところ、ちょっとした外出の際には眼鏡をかけているのだけれど、あまりにも周囲がボヤけて見えるものだから、やや恐怖を感じるという本音もある。他人の視線が気にならないという点では、必ずしも悪いことばかりではないのだけれど、やはり手元しかはっきりしないのは健全ではないだろう。

というか、今の状態だと気軽に映画を観にいくこともできない。そう考えたら、なんだか最優先事項に近い問題のような気がしてきた。


私は小顔らしいので、一般的なサイズで買ってしまうと大きくて不釣り合いに見えてしまうことがわかった。
今かけている眼鏡のサイズと、オンラインショップなどで売っているものを比べると、およそ一回り違う。
まぁ現在の視力がどのくらいなのか不明なので、いずれにせよ実店舗で計測する必要はあるのだけれど、サイズを気にせずデザインだけで購入してしまったら、後悔しかねない。
ただ、大人用としてかなり小さめのものを買うとなると、選択肢が相当に少なくなるので、それがちょっと気に入らない。

世の中の人間は顔がデカすぎる(偏見)。
服装全般にも言えることだけれど、いわゆる理想的な体型に近い人間は、サイズが合わないことが多くて余計な悩みが増えるので、意外と幸福度が低いのかもしれない。