K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

たまには日頃の反省でも

三日前のことだが、ちょっとした事情で徹夜してしまった。そのうえ、朝になってから布団ではない場所で眠ってしまう始末。
ここ最近、しばらく安定していた生活リズムはあっさりと壊れてしまうし、体力の回復もできていなかったようで、今日までずっと調子が戻っていない。


よくも悪くも労働に縛られていた時は、睡眠時間や体調に関係なく外的な強制力が働いて、昼まで寝ているなんてことができなかった。ふらふらの状態でも与えられた作業に取り組まなければならないのは、今から思うと異常なことで、非常に不健康だったと思う。
ただ、そうやって体力を犠牲にしつつも無理やり身体を動かすことで、どこからかわからないが「元気」というやつを抽出できていた気がしないわけではない。
原動力が内なる強制力に限られている現在は、一度こうやって心身のバランスが崩れてしまうと、元の状態を取り戻すまでの数日間は予定していた作業が進まないなんてことが珍しくない。
以前にも増して、体調管理には気を使わなければならなくなったことを自覚する。

不思議なのは、新環境と旧環境において、身体に秘められたエネルギーの在り方がまったく異なるということだ。
新環境では、多少の不具合があったとしても頑張って動こうという気になる。食事を含め、何から何まで自身でこなさなければならないという状況自体が、いい塩梅でプレッシャーになっているのかもしれない。
旧環境では、その点において他人任せになってしまう部分があるため、気が緩むと永遠に眠ってしまうような勢いで身体が活動を停止しようとする。
つくづく、新しいことに身を投じるにあたって、自身の置かれる環境を変える選択をしたことが間違いではなかったのだと思わされる。

 
「やる気」とか「活力」とか「エネルギー」とか、言い方を変えても言っていることは似たようなもので、要するに物事に取り組むための生命的な源のことだ。その形が環境によって変わるせいなのか、こと趣味に関しても効率に大きな違いが出る。

アニメは時間が固定されているので効率も何もないけれど、旧環境では気が乗らないという理由で視聴を後回しにしてしまうことが少なくなかった。
新環境では、ちょっとでも溜まったらすぐに見てしまおうという意識が働く。無計画ではあるけれど、ある意味で計画的に消化を進めることができているように思う。
今期は15本くらい見ているにもかかわらず、ちゃんと追いつけている。これは深夜アニメを見始めた高校生の頃に匹敵するレベルで、数年前の私からしたら驚異的なことだ。

習慣的に遊んでいるゲームにしても、生活時間を侵食するような無駄なプレイを極力しなくなっている。
以前は毎日のように同じことをダラダラと続けてしまうことが多かったけれど、今では余計だと思ったことは切り捨てられるようになった。効率的かどうかはともかく、一日のうちに使える時間が増えたのは確かなことだ。

 

「甘え」というのは心地よいものだけれど、浸りすぎると人生が壊れる。依存性のある薬物と、何が違うのかわからない。
始まったばかりの新しい生活には、まだ「甘え」る余地がほとんどないため、この絶妙な緊張感は今後も維持していきたいところ。

しかしまずは、旧環境からの完全に近い脱却を終えなければ、本当の意味で私の新しい物話が始まることはない。移せる物は早く移してしまって、週に何度か往復するバカみたいな生活を改めることが最優先事項だ。