K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

不眠症対策

このところ、ずっと思い通りに眠れない日々が続いていた。
本来はストレスの少ないはずの自宅という環境でも、予定している時刻に到達する前に目が覚めてしまうし、実家に帰省中など寝床が変われば、それだけ睡眠の質は低下する。
睡眠中だけでなく、布団に入ってから入眠するまでの時間も不安定かつ長めであり、快眠が得意な人はいったいどれだけ人生において得をしているのだろうと思う。

 

疲れがあった。
慣れない連日の外出活動による疲労の蓄積は、確実に今後数日の生活を脅かすに違いないという予感があった。
実際には、もちろん疲れていたものの、どちらかと言えば体調に影響していたのは睡眠不足のほうであって、脚が筋肉痛になることもなかったから、不足分さえ補えれば比較的早いうちに万全なコンディションを取り戻せたはずだったのだが……用事が済んで落ち着ける状態になってから、上手く睡眠を果たすことができていなかったのだ。
一昨日、それから昨日……一般的な体力の持ち主なら元気になっているであろう休養を経ても、私の体調は微妙に悪いままで、上向く予兆も感じられなかった。
眠いのに、眠りたいのに、どうして満足する前に覚醒してしまうのか。デバフがかかったような調子のまま起き上がり、気怠さを伴いつつ日中を過ごすのは、決して心地好いものではない。

体力的には、おそらく問題はないのだ。
だって、長らく引きこもっていたにもかかわらず、外を動き回っても平気だったのだから。無意識に気を張って耐えていた可能性もあるけれど、解放された途端に力が抜けて大きく絶不調に陥る、なんてことはなかったから、まだ私の肉体は年齢相応の若さを保っているということなのかもしれない。
鈍ってはいるものの、多少の無理は通用する。それでも調子が好転しないという自覚があるのは、睡眠の質が極めて低いからに他ならない。

そもそも、規則正しい生活リズムに従って、決まった時間に寝ようとするのが不自然なのだ。人体というのは、本当の意味で規則正しく回ってなどいないのだから。
よりストレスを排除する方向で生きようとするのであれば、時計など意に介さず、生理的な欲求で過ごすしか最適な道は残されていない。
特に明確な目論見があったわけではないのだが、私はその究極を狙うことにした。

具体的に言うと、身体が全力で睡眠を求めるようになるまで、横にならないということだ。換言するなら、眠すぎてぶっ倒れるまで起き続けるということでもある。
自宅に戻ってから少しずつズレつつあった生活時間の影響で、昨晩はもうすっかり、天辺を超えた直後に寝ようとすることは不可能になっていて、朝型から徐々に夜型へと、再び戻りつつある兆しは表れていた。
それならば、それで構わない。どうせだったら行けるところまで。
予定していた行動ではないのだけれど、およそ一週間ぶりに徹夜で起き続ける選択を取った。

早朝の時点では、まだ意識に余裕はあったのだが、流石に昼を過ぎてくると目蓋が重くなるのを実感し始める。
真っ先に変化が出るのは、眼と言っても過言ではない。かつて徹夜で麻雀やカラオケを楽しんだ大学時代においても、限界の接近を知らせてくるのは眼球だった。
視界という刺激に晒されている時間が長くなればなるほど、瞳は闇を欲するようになる。次第に、目を開けていることが困難になり、気づかないうちに目を瞑っていることが珍しくなくなるのだ。
だが、今日はもう少し頑張った。まだ限界ではない。限界を迎えないうちに寝てしまっては、きっとまた浅い眠りで中途半端に時間を費やしてしまうに違いない。
結局、本当の意味で倒れ込むように、睡眠欲に身体を委ねることになったのは、陽が傾きかける夕方だった。

 

いつ以来かわからない、上質な睡眠がそこにあったように思う。
夢を見た記憶はなく、覚醒とともに脳が活発になり、起き上がることに抵抗感を覚えない。
ああ、熟睡できたんだ……と思った。安堵した。

睡眠時間自体は、普段と大差ないレベルだった。寝る前の連続起床時間のわりには、日付が変わる前に全回復に近い形で起きられたのは幸いと言うべきか、あるいはこれが、理想的な睡眠の形なのではないかと思わないでもない。
身体が欲するままに眠ることで、効率的な自浄作用が働いたような気がする。
横になる直前の、限界に近づくまで眠気に抗う時間はお世辞にも楽とは言えないけれど、機械的に無理やり睡眠を取ろうとする場合と比べて、明らかに寝起きの調子が違うのだ。

これから数日の間、試験的に似たような生活を続けてみようと思う。