K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

隣人の話

挨拶をしていないので今のところ顔も知らない隣人について、聞こえてくる音からどんな人間が住んでいるのか考えてみようと思う。
別に聞き耳を立てるとか、ストーカーまがいのことはしない。壁が厚くないため、普通にしていてもある程度は耳に入ってきてしまうのだ。

 

両隣にいるので、まずは片方から。とりあえずAと呼称することにする。
住んでいるのはおそらく男で、年齢はわからないが30±5歳といったところだろう。なんとなくだが、学生という感じはしない。あるいは大学院生という可能性もあるが。
毎日、というわけではないけれど平日は出かけていることが多いように思う。朝は7時くらいに家を出ているのだろうか。午前中に物音を聞いたことがほとんどないため、通勤なり通学なりしているのは確かだろう。

Aの特徴は、とにかく動きがうるさい。別にわざとではないのだろうが、扉を開けたり移動したりする時に、隣人への配慮が感じられない。振動が直接響いてくるわけではないにせよ、壁や床を通じて「ドン、ドン」という音がよく聞こえてくる。毎日、19時~21時頃になると帰宅してくるのが音からわかる。
まぁ音の響きなんて自分ではわからないものだから、知らず知らずのうちに私も何か迷惑をかけているかもしれない。多少はお互い様ということで我慢すべきだろう。

正直、Aについてはあまり情報もエピソードもないし、これ以上は特に書くことがない。今回の日記は、反対側の住人に関してちょっとした出来事があったので、その勢いに任せて書いたものとなる。

 

もう片方はBと呼称することにする。
住んでいるのはおそらく女で、年齢は20歳前後だろう。理由は簡単で、Bがおそらく大学生だからだ。
Aと比べると、大きな生活音が響いてくることはほとんどない。たまにスマホのアラームが鳴っていたり、微かだが音楽が聞こえてきたりするので、日中も留守にしているということはないように思う。
学生と想定するなら、オンライン授業でも受けているのだと思えばしっくりくる。
Bについては、しばらく人物像が掴めず、ちょっと不思議な印象を抱いていた。というのも、男性と女性の声が同時に響いてくることがあり、同居しているのか、どちらかが訪れてきているのかがわからなかったのだ。加えて、週に何度か早朝にバタバタと足音が響いてくる。直後に子供のような声。
これはいったいどういうことか。別居している三人家族のうちの、夫か妻かどちらかが住んでいるのではないか、なんて思っていた。
実際には女子大生らしくて、子供に聞こえていた声は彼女のものらしく、その推測が的外れであることは今朝方に判明したわけだけれど。

今朝、いつものように何者かの来訪があった。私は、その時間帯にはまだ寝ていることが多いので聞き逃していたのだけれど、今日は偶然にも覚醒状態だったので、ピンポーン、ピンポーンと繰り返し鳴らされる様子に、やや不信感を抱くことができた。
しつこいくらいに鳴るインターフォンに、Bは一向に出ようとしない。部屋の前からは、男同士と思しき会話が聞こえてくる。何をしているのだろう。いつものように来たけれど開けてもらえないのか、あるいは留守なのか。
秋も終わりに近づき、まさに冬に突入しようとしている時季だ。外で待っているのは寒いだろうに、一時間近くもそうしているものだから、つい気になってしまった。
こちらのインターフォンの「モニター」を押す。一方的に外の音声が聞き取れる状態になると、会話がクリアになった。隣の部屋の前なので姿はわからないけれど、明らかに若者の口調だった。
今日は五限に授業が入っているから、スタジオの予約は夜にしたらしい。バンドでもやっているのだろうか。それまでどうやって時間を潰そうかと友人と会話する様は、なんだか惨めにも思えたけれど、同時にとても面白い展開になってきたものだと、おもむろに気持ち悪い表情を浮かべていく。
あぁきっと、この二人は恋人同士なのだろう、と。喧嘩をしてしまったか、機嫌を損ねてしまったか、反応してもらえなくなったことに自信をなくして、友人についてきてもらったのかもしれない。あわよくば、仲を取り持ってもらおうと。
それでも、変わらず無反応。無視されることの苦しさ、寂しさを言葉にして虚空に放っていた。
失ってから気づくものがあるのだと、人生をかけていたのだと、聞いているだけで恥ずかしくなってしまうような心のこもった台詞が流れてきて、思わず感心してしまった。こんなに真っすぐな気持ちを語ることのできる相手がいるなんて、きっと彼は幸せだったのだろうと考えずにはいられない。
いてくれてよかった、と友人に漏らす。諦めたのか、昼飯をどうするか、などと話題が移る。もう会うことはないかもしれない扉の向こう側の人間に向かって最後の別れを告げると、二人はゆっくりと離れていった。

まったく自分と関係ない他人の情事とはいえ、久しぶりに人間の心というやつに接近できたのは予想外の収穫だった。私が恋愛漫画ラノベ主人公だったら、この後で隣の女子大生と接点を持つ、なんてことにもなるかもしれない。
もしくは、返事がなかったのは彼女が既に死んでいたからで、数日後に遺体が発見されるなんてことになったら、それはそれで面白い。いや、隣人としては甚だ迷惑でしかないけれど。
妄想はさておき、昼頃に少し物音が響いてきたのを観測したので、死んでいるなんてことはもちろんなく、ただ男が一人フラれただけの事件だったとさ。

 

このブログが特定されるなんてことはないだろうが、住んでいたらそのうち顔を合わせることがあるかもしれないし、あまり隣人について変なことを書くのはやめておこう。
勝手に頭の中でキャラクター設定をしすぎると、いざ出くわした時に妙な反応を見せてしまいかねない。

あくまでここに書いたことは、限られた情報から推測しただけの作り話だと思っておいたほうがいいだろう。自戒を込めて。