K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

感覚の麻痺

具体的に何について書いているのかは、あえて今回は触れずに進めたいと思うのだけれど、例えるならこれはゲームのようなものだ。
自分の判断によって勝ったり負けたりする。そこに絡んでくる感情は決して気楽なものではなくて、場合によっては命にかかわるような、天国や地獄に接近する行為と言ってもよいかもしれない。


何気ないことだった。今にして考えれば、きっかけは単なる思いつきだったのだ。
今年の一月に恐る恐るスタートして、しばらくすると暇な時間にはスマホの画面を見つめて、「それ」に対して頻繁に注意を傾けるようになった。
初めはわからないことばかりで雰囲気で動くしかなかったから、上手くいけば運がよかっただけ、基本的には失敗に向かって突き進むのみだった。
ちょうど始めたタイミングがよかったのか、最初は失敗知らずだった。やがて調子に乗って、ドン底の味を知ることになる。
正直、状況によっては寝ることすら躊躇ってしまうため、精神的に負担に感じることも多かった。けれど、成功した時のリターンを考えるなら、やらないよりはやったほうがいい、という感覚がとても強かった。何も保証なんてないのに、よく嫌気が差して逃げなかったものだと今では思う。

かれこれ十か月ほど経過して、ある程度の知識はついた。スタイルも少しずつ変化していき、いつの間にか初心者は卒業していたのだろう。ここにきて、ようやく報われたと言ってもいいような展開を迎えた。
これまでに何度もチャンスを逃し、そればかりか状況は次第に悪くなる一方だったから、耐えに耐え抜いた末に急激な速度で好転したのを目にした時は、不思議と喜びよりも疑いの感覚に包まれた。
これは現実なのだろうか。こんなことで、いいのだろうか。
培ってきた瞬発力によって、光り輝く頂を手にしたことを実感した時には最高に気持ちよくて、続けてきてよかったと心から思えた。

いったんの目標は達成し、ゴールを通過したように思う。しかし目の前には、まだまだチャンスが転がっているようにも見える。
私も人間であるゆえの欲深さというものを一応は持ち合わせているため、たった一回の成功では満足することなどないのだろう。
賢い人間は、このタイミングでやめる選択をするかもしれない。ただ、私の場合は今後の事情なども考慮すると、成功確率が高そうな今のうちにできる限りの結果を出しておきたいという気持ちがある。
もちろん、せっかくの成功を無駄にするわけにはいかないから、得られた糧は確かな足場として確保しておいて、ひとまずは心の周囲に漂っている余裕だけを使って次なるゲームに挑んでいきたいところ。


このゲームには、似たような形式で多様な舞台が用意されている。どれを選ぶかは人それぞれで、等しく楽しんでいる人もいれば、すべてを一点に注いでいる人もいる。
違いは、主に刺激の度合いだ。
激しければ激しいほど、成功時の見返りが大きいけれど、失敗時のダメージも凄まじい。刺激が少なければ日常的に精神を支配されることはほとんどないけれど、変化に乏しいため退屈だ。
まぁこういうのはどの世界も同じで、どちらが性に合うかは性格次第なところがある。
私は……前者だというのは言うまでもない話だ。

長い目で見て継続性を考えるなら、あまり激しいものは推奨されないかもしれない。ただ、素人から中級者になるための勉強という意味では悪くないし、そこに飛び込んでいなければ今回の成功はなかったはずだ。
そういう環境に一年弱も浸っていると、もはや育まれた感覚は最初から壊れている。私がいる場所とは異なるステージについても、まったく興味がないというわけではないため、たまに覗いてみることがあるのだが、あまり楽しそうに思えないので困ったものだ。

今後どのような展開になるのかはわからないし、うっかりミスでまた地獄を見る羽目になるかもしれない。考えたくはないが。
常にCPU(脳)の使用率を一定割合占拠してしまうのも、慣れてはきたが健全とは言えないので、年末か年明け少ししたら、きっぱりと引退するのが理想的かなとは思っている。