K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

生存記録(20231230)

世間はすっかり年末ムードが漂っており、たとえ外に出なくとも、インターネットに流れている情報から、新年が近づいてきている気配を感じることができる。コミケの戦利品やコスプレ写真なんかは、その代表的な風物詩と言えるだろう。
ただ、毎年のことではあるけれど、いつもこの時期に私は思うのだ。年末感がない……と。そもそも、何をしたから年を越すというわけではなく、時間という絶対的なものが未来に向かって進んでいるだけであり、そこに人間の感覚を差し挟む余地など存在していない。日付が変わるタイミングなんて国によって違うわけだし、便宜上そうであったほうが人間社会に都合がいいから、客観的な指標として採用されているだけのことだ。大晦日にせよ元日にせよ、一日としての時間の価値は真夏の某日などと比較しても、大きな違いを見出すことは難しいだろう。言ってみれば、年末ということになっているから、年末として過ごさせられているようなものかもしれない。
こうして考えてみると、私が年末感を抱きにくいのは、年末らしい慣習に直面する機会を設けていないからなのではないかという気がしてきた。世間一般の人間が、どのような生活を普遍的な年の瀬の過ごし方として設定しているのか知る由もないけれど、少なくとも忘年会の一つや二つは経験しているに違いない。もしくは年末年始の休みに備えて、最後の追い込みと言わんばかりの膨大な作業に忙殺されるとか、あるいは挨拶回りに奔走するとか、おそらく年末にしか発生しないであろう出来事を経ることによって、少しずつ心の中に確かな実感を伴う「年末感」が生じるのだ。
私にとって、この週末は特に普段と変わることのない土日でしかない。中央競馬が開催されていないとか、いつも適当に流し見しているYouTube配信者が休んでいるとか、やや変則的な事態に若干の影響を受けないこともないとはいえ、主体的な意味における特例というのは今のところ考えられない。まぁ明日の夜には実家に帰る予定ではあるけれど、その帰省にしたって二か月に一度は起こる程度のイレギュラーだから、やはり特別視するほどではないのだ。
しかし、いつの間にか年が変わっていて、その間に自分は一切の自覚がないというのも、面白い事態ではない。年末感など心からどうでもいいが、せめて一年の総括なり来年の抱負なり、形だけでも様になるよう心がけることも悪くはないように思う。そんな余裕があるかは不明だけれど、明日はそんな雰囲気で軽く日記を書いてみよう。