K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

他人の恋愛話

私が最も興味のない事柄として真っ先に挙げないのが、他人の恋愛話だ。
「どうでもいい」ことは大量にあるし、逆に好奇心を刺激される話題も少なくはないのだけれど、恋愛トークに関してだけは非常にネガティブな気持ちを抱かざるを得ない。
「どうでもいい」のさらにその先……どうでもよすぎて、耳に入れることすら億劫という感覚だ。

 

もう結構前の出来事になるのだが、大学で同コミュニティに所属していた同期と飲みにいく機会があった。
集まる目的はなんだったか、ここ数年は一切の連絡を取り合っていないので大した間柄ではないし、すっかり忘れてしまったが、その場で交わされていた会話のメインテーマについてはハッキリと記憶に残っている。
どいつもこいつもアタマお花畑なのか知らないが、浮かれたことしか口にしない。ああ、気持ち悪い。

まるで会話の流れについていけない私は、空気と同然の姿勢で時が過ぎるのを待つしかなかった。
相槌すら躊躇する。彼ら、彼女らが何について語っているのか、本質的に理解が及ばないのだ。
これが普通なのだろうか。こんな、退屈な話の引き出しを大量に持っていて、それぞれが発露するエピソードでバカみたいに盛り上がれることこそが、普通なのか。
私には一生、縁がないのだと自覚した。

面白くない思い出を記憶の奥深くから取りだしてみて、やはり恋愛のことはよくわからないと感じた。
これまでの人生で、それを求めたことがない。羨ましく思ったこともない。ただ、形式的に知っているのは、フィクションの世界で描かれるような人間同士の難しい感情の混じり合いくらいのもので、現実に生じる多様な恋愛模様についてはアプローチする術を持たない。
自らの意志と行動だけでは始まらない、決して実現しないところが、あまりにも独り善がりな私の性質と逆行している。

 

そんな私でも、何度か結婚式の招待を受けたことがある。数少ない人脈から奇跡的に生じた、人生のレアイベントと言っていいだろう。
どうやったって気は進まないものの、せっかくの体験だからと、基本的には誘われたら参加してやろうという気概はあった。
しかしながらタイミングの悪いことに、多くの結婚式はコロナ禍の影響を受けて、延期の末に取り止めという結末を迎えたものがほとんどだった。
結局、招待状が届き、返事を送り返して、日程まで確定していたにもかかわらず、私が行くつもりになっていた直近の結婚式は、すべて開催に至ることはなかった。
今でこそ、これはこれで悪くないと思っている。こう言うのは失礼かもしれないが……正直、心から祝福の言葉を投げかけるほど深い付き合いのある相手ではなかったし、苦手な人混みの中に行かずに済んだ、ご祝儀代が浮いた、という喜びのほうが大きいのだ。

先日、コロナ関係とは別件で結婚式中止の連絡を受けた。
詳しい事情は知らないし、それこそ「どうでもいい」のだけれど、何やら恋仲が破綻したらしい。
結婚式の予定まで決めていて、入籍まで間もないという中で関係が決裂するというのは珍しい事象のように思えるが、案外そうでもないのだろうか。
まぁ赤の他人と生涯を共にすることを決定するかもしれない重要な岐路ではあるから、普通に考えれば簡単な決断ではないし、個人的には絶対に無理と言いきれるくらい結婚生活というのは困難な営みに思える。
だから、むしろ「そりゃそうだ」という気持ちのほうが勝ってしまった。とりわけ同世代で、平然と恋愛をして結婚をして、その後のことまで当たり前のように視野に入れている人たちを見ると、まるで生きている世界が違うのだと感じないわけにはいかない。

それにしても、随分と長い期間の同居生活を経て決めた結婚だったようだから、当人の気持ちを想像すれば不憫にも思う。
直前になって、致命的な価値観の相違を認める何か劇的な出来事に見舞われたのだろうか。
運が悪かったというべきか、あるいは互いに理解が不十分なまま勢いで結婚を選択してしまったミスなのか、部外者の立場からは適当に妄想するしかない。

 

少子化が問題視されているのは最近だけの話ではないけれど、出生率の低下、婚姻率の低下などに関して、たとえば給与水準の低さが挙げられることがある。
それはそれで一面的には正しいのだろうし、特に結婚後の諸々の選択については、余裕があるかどうかで大きく変わるのではないかという感覚はある。
ただ、それ以前の、結婚に至るかどうかという個人段階の志向においては、そもそも金云々の話ではないような気がしてならない。
私自身は極端な例にせよ、娯楽の多様化に伴う恋愛優先度の低下は昔と比べて顕著だろうし、よほど異性という存在が好きでなければ、わざわざ結婚を考える段階にすら到達しないのではないかとさえ思ってしまう。

いや……あるいはひょっとすると、普通の人は「異性を好きになること」は当たり前だと考えているのだろうか。恋愛絡みのあらゆる前提に対する解像度が、赤子レベルで皆無であることを自覚しなければならないかもしれない。本当に、現実的な観点がわからない。
とにかく、やはり私には死ぬまで恋愛との縁がなさそうだということは、あらためて確認できたような気がする。