K's Graffiti

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成人式

明日は成人の日ということで、全国各地では成人式が……残念ながら今年は行われないところが多そうだけれど、ともかく今年度で二十歳になる若者にとっては、一つの区切りとしてそれなりの意味を持つことだろう。
まぁ私は成人式がどんなものか知らないので、残念なのかどうなのかも、よくわからないのだが。私は成人式に行かなかった人間の一人だ。

 

成人式というやつに興味を抱けなかったせいか、前日になっても自らが成人を迎える年度であることに強い自覚がなかったし、心境の変化と言えば、当日の朝になってようやく、私はいったいどうすればいいのだろう、という気持ちになった程度だった。
そういえば、公の場に着ていくちゃんとした衣装を持っていない。どうしよう、いい機会だしとりあえず買っておいて損はないだろうか。そんなことを思ったのは、なんとなく覚えている。

ちゃんと午前中には起きていたから、準備する余裕がないわけではなかった。けれど、初めから行くつもりなんてなかったのだ。当時、服を買うのはいつも親で、自分で高い買い物をしたことなんてなかったから手こずった。サイズ合わせに時間は取られるし、いろいろとバタバタしているうちに成人式の開始時刻は過ぎてしまっていた。
無事に受け取ることができて、これで式典にはいつでも参加できる。そういう段階になった時には既に式が終了している時間で、遅れて様子を見にいく気力も失われてしまう。

どうせ行ったって、誰も知っている人なんかいない。ただ機械的に参加者を演じて、何か記念品を貰った後には一人で寂しく帰宅するだけ。疲れるだけで、何も素敵な出来事なんてあるわけがない。
何も知らないくせに一方的な決めつけで、今から考えればたった一度きりの経験の機会を逃しているわけだから、もったいないと思わないわけではない。けれど、あの頃の私のメンタリティからすれば、わざわざ成人式に参加するというのはとてもハードルの高い行為に他ならなかったのだ。

昔馴染みに会うのが目的という意見は目にしたことがある。それって、そんなにいいものだろうか、とは思う。思う以前に、私には地元(実家のある地区)に昔馴染みなんていないわけだけれど。小学校や中学校の同窓会なんて、都市伝説以外のなんだって言うんだ。
私は私立中学を受験して、小学生時代の友人とは会うことがなくなった。そして中学の途中で引っ越した。小学生の時は年賀状のやり取りに使う住所か、自宅の電話番号が数少ない連絡先だった。知らせずに引っ越してしまえば、完全に縁が切れてしまう。
多くの人間関係が一気に失われてしまい、もはや音信不通の行方不明者となっているので、当然のことながら同窓会の連絡なんて来たことがない。
中学に関しては中高一貫教育校のため、別れてからそれほど年月が経過していないこともあってか、同窓会というほどのちゃんとした催しは企画されなかった。ただ、成人の日に該当の卒業生が集まる場を設けてもらっていたので、私も午後になって顔を出してみた。
なんてことはない、卒業後に何をしていたかが話題の中心となり、あとは多少の懐かしさがあるくらい。立派な恰好をしている子もいたけれど、私と同じように普通のスーツという人も多かった。特別感は全然なくて、気づいたら成人の日なんてものは終わっていた。

 

二十歳だから、なんだと言うのだろう。確かに法律的な境界はあるのかもしれないけれど、成人の日を迎えたからと言って、成人式に参加したからと言って、あるいは二十歳の誕生日を過ぎたからと言って、その人間の中身が劇的に変わるということはない。
これまでと同じように、ゆるやかに成長を続けるのが人間というものではないのだろうか。
成人式を楽しみにしている若者も、この世の中にはたくさんいるのかもしれない。私には理解できない感情だけれど、一歩大人になる、大きな存在になるということへの、そこはかとないワクワク感は理解できる気がする。
私はあの日を境に「大人」に進化したという自覚はない。それでも着実に成長したのだろうと思える瞬間は、日々の営みの中に垣間見ることができている。
今年は惜しい思いをしている人が多いかもしれない。でも、なくなったからと言って大切なものが失われるわけではない。成人式なんてあってもなくても、人間は生きていれば大人になるし、なんとなく気持ちも変わっていくものなのだから。

……いや、まさか成人式参加者にだけ与えられる特別な資格とか、称号とか、そういう類のものはないだろう? 実は……なんて展開だと困る。
私には、もはや知る由がない。