K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

記録を記憶へと変えていく

いよいよ「その日」が迫ってきた。
当日になって時間をかけるのも嫌なので、リモートで作業が可能なものは事前に済ませてしまおうと、久しぶりに環境にログイン。
溜まりに溜まった大量の情報を取捨選択し、そしてほとんどを消去した。

 

自室を片づけるのが苦手なのと同様に、PC内の各種ファイルを整理しておくことが習慣化できていないせいで、非常に手間がかかった。
ただ消すというのなら比較的簡単なのだけれど、一応は中身の確認というか、フォルダごとにどんなものを入れていたか見ておきたいという気持ちがあった。そのため、最終的には空っぽにするだけなのに数時間も費やしてしまった。
余裕があるからこそ、こういう時間の使い方をしてしまうのは悪い癖かもしれない。長い目で見たら、ただの無駄である可能性が高い。

しかし、溜まっているファイルというのは私が関わってきた作業の歴史そのもので、見返してみるとそれなりに感慨深くもあった。
本当に、一つひとつを見ていくと非常にくだらないことをしていたなぁという感想しか出てこないけれど、それでも長い時間をかけて出来上がった積み重ねが、目に見える形で存在しているのは気持ちがいいものだ。
それを、少しずつ削除していく。心が痛むかと思ったら、意外とすっきりする。
PCというのは、いわば相棒みたいなものだけれど、やつの中にはもう何も残っていない。さらばだ。

物理的にデータを消去してしまったことで、もう思い残すことはなくなった。これまでに出会った、あんなことやこんなこと、それぞれの詳細は永遠に失われてしまったけれど、消していく際に私は確かに思い出していた。
この幸せな記憶にだけは、どんなセキュリティも通用しない。頭の中にしっかりと閉じ込めて、持ち出すことに成功した。きっと数年、いや数か月もすれば新しい生活の刺激に呑まれて、ほとんどまともな形状は留めていないだろう。それでもよい。
最も望ましい形で最後を迎えることができる。それだけで十分に思えるのだ。

あとは必要な書類を揃えて、返却物をまとめておくくらいか……ああ、そうそう。先日ちょっと日記に書いた挨拶の件は、あまりにも私が怠けてしまったため、いまだに送れていない。つくづく恩知らずな人間で困ったものだ。
もう文面は作ってあるし、ちょっと調べたら最後の最後に送るのが一般的とか書いてあったから、そうすることにする。

そういえば、私が珍しく心を許してもいいと思えた人間がいたのだけれど、彼に対しては今のところ特に連絡をしていない。もう半年以上も会っていないから、何をしているのか少し気になるところではあるが、きっと目の前の課題に対して全力に、懸命に頑張っているのだろう。
あまり頭のいいやつではなかったが、人当たりが非常によくて、相性も悪くなかった。ときおり、私と自らとを比較してコンプレックスを感じていたように見受けられたが、私からすれば積極性とか、ひたむきさとか、見習いたいところは多かった。
LINEでの繋がりがあるし、わざわざ形式的なメールを送るまでもないかと思うけれど、とりあえず「その日」の帰りにでも軽く連絡くらいはしておこう。急なことで、驚かせてしまうかもしれない。