K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

耳が悪い

似たような日記を以前に書いた気がする。まぁいいだろう、日記は日記なのだから。
今日は珍しく朝から出かけて、帰宅したのは夕方になりかけの時間帯。それからもう一度、外に出る用事があったので、いつもの数倍は疲れてしまった。

 

毎日出勤して、朝から晩まで会社のために尽くしている世の中の社会人は、本当に凄いとあらためて思う。
それが正しいことなのかとか、本質的に意味のあることなのかとか、そういう斜めからの観点は抜きにして、ただ純粋に体力の話として感心を覚えるのだ。
かつては私もせっせと低賃金で労働力を提供していた身だから、やや複雑な気持ちだ。マジョリティを観察していると、そういう生き方を長年にわたって続けることの精神力とか、視野を広げようとしない一途さとかが目立つので、参考にしていいのか反面教師にすべきなのか、よくわからないでいる。
ともかく、溜まった疲労によって人間の能力は万全の時と比べると多かれ少なかれ低下するので、今日の私は相当に疲れていたに違いない。
あるいは、極端に集中力を欠いていたのかもしれない。帰りにスーパーに寄って買い物をしたのだが、レジで話す店員の声がまったく聞こえなかった。

昔から、音声について私が認識できるのは耳に入ってきた中で最も特徴的な一つのパターンだけだった。
たとえば騒々しい居酒屋の中なんかでは顕著に表れる特性で、その状況においては周囲の雑音が最も耳に刺激を与える。人の話す声は掻き消されてしまい、ついに私の耳には届かない。
私にとって飲み会とは、真横か正面の人間以外とまともに会話することができない空間だ。
騒音の中に響く、個別の声音を分析することができない。口の動きで何か喋っているのはわかるのに、その音がまるで届いてこない。いや、実際には拾っているのかもしれないが、それを意味のある音の並びとして捉えることができないのだ。

今日もそうだった。店内に流れるBGMが煩くて、何かを言われているのだけれど、全然わからない。まぁ会計の際に店員から言われることなんて限られているから、まだ推測しやすくてマシというものだけれど、そのような状況下においては聞き返しても結局、聞こえないことがほとんどなのだ。
飲み会では適当に愛想笑いと相槌を返すばかりで、もう会話にすらならない。相手が疑問を抱かずに、ぎこちない私の反応に納得してくれれば楽なのだが、確率的には半々といったところか。
他の人間は騒音に屈することなく平気で言葉を交わしているのが見ていたらわかるから、自然と私は耳が悪いのだと思うようになった。健康診断では何も問題がない。ただ単に、音を聞き取るセンスがない。

 

先日、急に右耳の聞こえが悪くなるという症状が起こった。兆候はなく……強いて言えばイヤホンを着けていたことくらいだけれど、日常的なことなのでその日に何か特別な変化があったわけではない。
突発性難聴という言葉が頭を過った。原因不明で、誰でもなる可能性があって、そして早く対処しないと治らないという風に聞いたことがある。
聞こえなくなったわけではないけれど、明らかに違和感があった。一生このままということになれば困った話だが、さてどうしたものか……と多少は悩んだものの、とうとう病院に行くことはなかった。
違和感というのは、時間の経過とともに慣れてしまうものだ。数時間が経った頃には、耳に異変が発生していることを失念していた。そして翌日になってから、そういえばいつの間にか治っている、と他人事のように気づくことになる。
ひょっとしたら、異常は異常のままという可能性もある。異常な状態に、身体が完全に適応してしまったから違和感が消えて、すっかり治ったと思い込んだのかもしれない。

年齢を一般常識的に考えればまだまだ若者の範疇だし、自分でも若い人間だとは思っているけれど、少しずつ肉体に翳りが見え始めているのは事実で、もう五年前や十年前のような若々しさがないことは自覚しておいたほうがいいのだろう。
昨年はいろいろあって健康診断が受けられなかったし、日頃の不摂生も気になるので、そのうち気が向いたら人間ドックでも受けようかと考えている。