K's Graffiti

文章を書いたり絵を描いたりします。

記憶と印象

これはもう十年以上前から感じていることなのだけれど、周囲の人間と比べて私が明確に異なると思っている事象がある。
過去の出来事に対する記憶の仕方、とでも言えばいいだろうか。上手く表現するのが難しい。
まぁ記憶なんて個人差の極みのようなものなので、私が勝手に考えているだけなのだが……しかし知人と昔話をしていると、妙に噛み合わないということが珍しくないのだ。

 

いったい何が異なるかと言えば、その記憶を構成している要素が具体的なのか抽象的なのかという度合いの違いだ。
これまでに関わってきた多くの人間は、特定のエピソードを大雑把に、より大きな印象の塊として捉えるのが普通のようだった。対して私は、5W1Hを軸に記憶している。具体的に何があったのか、見方を変えると気持ち悪いくらいに覚えている場合が少なくない。
こうやって書いてしまうと、私が完全記憶能力者みたいに勘違いされそうだが、流石にそこまで仔細なものではない。忘れていることも多々あるし、間違いだってある。
ただ、過去のエピソードについて同じ経験を共にした人間と語る際に出てくる情報が、なんとなくの雰囲気ではなく、より明瞭なデータに近いという話だ。

思うに、原因はいくつかあるのだけれど、その最も有力なものが交流関係の絶対数なのではないかと考えている。
私は、恥ずかしながら積極的に人間関係を構築していくのが不得手だ。いつだって私の友人知人は、私以上に別の関係性を他の場所に持っている。人との関わりが非常に少ないがゆえに、その一つひとつに対する重みが相対的に大きなものとなる。
たとえば、週に一度だけ会う相手がいるとする。私が一週間のうちに会うのがその人だけだとすると、「関わった相手」というカテゴリーの100%をその人物が満たすことになる。一方で、その相手は毎日異なる誰かと会っているとする。当然、その人にとって関わりのある人物の中で、私は最大でも1/7程度しか存在感を発揮することができない。
単純な話で、関わった人間の数が少なければ少ないほど情報量は限られるから、残った脳の記憶容量を活用するために、代わりに記憶する情報の質を高めているわけだ。
昔話で盛り上がろうとしている時に、私が記憶の隅から数々の出来事を引っ張りだしてくると、「そうだったっけ?」というような反応がしばしば返ってくる。その瞬間に、それはもはや私の中にしか残っていないのだと思い知らされるのだ。とても悲しくて、寂しくて、そして一層、孤独を覚える。

 

わかりやすいエピソードに限らず、ちょっとした会話内容についても同じことが言える。
私は基本的に、特定の相手に喋った内容を忘れることがない。同じ話を繰り返し伝えるということが滅多にないから、私は「それ前に聞いたよ」などと言われたことがない。
あるいはリピートする場合には、「前に話したと思うけど」というような枕詞を必ず付ける。
他方で、相手は違うのだ。たった数週間しか経っていないのに、以前と似たような話題になると、かつて聞いた話をもう一度、新鮮な気持ちでプレゼントしてくれる。相手にとっては、それが初めて私に話す機会であり、疑いようのないことなのだ。私に語った出来事を、完全に失念してしまっている。
そのことについて指摘するかどうかは気分次第なのだけれど、私は結論を知っているわけだから、より適切なリアクションを返すのに利用することが多い。前と異なる反応を見せれば、別の新しいルートに分岐するかもしれないし、まったくの無駄とは言いきれないのが会話の面白いところだ。

 

ある人間について評価する際に、私は会話中に出てきた細かい要素を組み合わせてプロファイリングを行うのに対して、たいていの人間は複数の会話から受けた総合的な印象に基づいて人物像を定めがちなのではないかと思う。過程を重視するか、結果を重視するか、みたいな問題だ。
後になってから自分の発言を一つひとつ振り返ってみて、もっと他に上手い言い回しがあったなぁなどと反省することがよくあるけれど、ほとんどの場合それは意味がないのかもしれない。受け取る側が見ているのはそんな些細なことではなく、会話全体における印象の積み重ねなのだから。
私に対する他者からの評価が、自分で思っているのと違うなんてことが頻繁に発生するのも、そういうことなのだろう。得てして、それは自己評価よりも高い。きっと私は、細かいミスは多いながらも、それほど悪くない雰囲気を見せるのが得意なのだろう。
これは自慢でもなんでもなく、ただ過剰に期待されやすいというだけの話なので、素直に期待に応えるのが難しいという悩みに過ぎない。

……まぁしかし、積み重ねてきた悪くない印象のおかげで、先日とんでもないミラクルが舞い込んできたので、デメリットばかりでないのは確かだろう。
せっかく与えられた素敵な状況を無駄にしないように、少しずつでも期待に沿った成果を上げられるように努力することが、宙に浮いた私の人生における必須の課題なのだと思う。